うつ病におけるウェルビーイングとは:Personal recoveryとEmotional Blunting【学会共催シンポジウム】
座長/伊賀 淳一 先生
(愛媛大学大学院医学系研究科 精神神経科学講座)
演者/菊地 俊暁 先生
(慶應義塾大学医学部 精神・神経科学教室)
うつ病の治療目標は時代とともに変遷し、かつては治療への反応が重要な評価軸であったが、寛解や症状回復などの目標が設定されるようになり、さらには機能的リカバリー、パーソナル・リカバリーの重要性が謳われるようになった。一方、近年ではウェルビーイングという考え方も広まりつつある。パーソナル・リカバリーとウェルビーイングという2つの概念の関係性と、その阻害要因の一つであるEmotional Bluntingについて考察する。
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うつ病治療におけるウェルビーイングとパーソナル・リカバリー概念との重なり
うつ病のリカバリー概念において、「臨床的リカバリー」は症状的・機能的・主観的な改善を意味する定量的な概念であるが、「パーソナル・リカバリー」は疾患による制限がある中で満足した生活が送れるようになることを意味する定性的な概念である。信念や希望、人生の意味などのその人らしさの発見や再獲得、他者との関係性や社会的支援などの環境の改善や援助の獲得などを目指すこととされている(図1)1。Leamyらは、パーソナル・リカバリーを考える上での5つの重要な要素として、Connectedness, Hope and optimism, Identity, Meaning, Empowermentを示している(表1)2。
一方、「ウェルビーイング」は、医学的(心身ともに病気でなく、機能障害がない状態)、主観的(ポジティブ感情の体験)、持続的(自己決定理論をベースとした、心身の潜在能力の発揮、人生の意義の発見)ウェルビーイングの3つに分類される3。ウェルビーイングの評価は医療者から見た症状の改善と必ずしも一致せず、精神疾患があっても生き生きと自分らしく生きられることで満足が得られる場合もあり、この点でパーソナル・リカバリーと共通する。Seligmanらは、ウェルビーイングの測定可能な5つの要素としてPERMA(Positive Emotion, Engagement, Relationship, Meaning, Accomplishment)を提唱しているが(表1)4、前述したパーソナル・リカバリーの5つの要素と類似していることからも、両者の概念の重なりが示されている。ウェルビーイングを理解することはうつ病のリカバリーの概念の更なる進展につながると考えられる。
- うつ病治療の中で注目されるEmotional Bluntingとその具体例
パーソナル・リカバリーやウェルビーイングの重要な要素の1つが「ポジティブな感情」であるが、これを阻害するものの一つとして注目されているのがEmotional Blunting(EB)5,6である。EBの中には感情の麻痺(Numb)、感情の平坦化(Flattening)、無関心(Indifference)、反応低下(Loss of response)の4つの要素があるとされ、ポジティブな感情もネガティブな感情もトーンダウンする、いわゆる「心が動かない状態」と言い換えることができる。
表2に示すように、EBと推察される具体的な患者の訴えとしては「あまり辛くはないんだけど…」「悲しくも楽しくもない」「何となく生活にハリがない」「暗くはなくなったけど」「いろいろとどうでもいい」などがある。一方で、周囲の人々からはその様子が「楽しそうではない」「話を理解しているのかわからない」「リアクションが薄い」「パフォーマンスが落ちている」などのように見える。つまり、EBを有すると、同じ体験をしても感情を共有しにくく、周囲と心理的な距離が生じたり、協調性や他者への配慮が不足したりするため、社会性の低下や対人関係を悪化させることにつながると考えられる。
また、EBの悪影響は日常生活にとどまらない。Rosenblatらの研究では、うつ病患者316名のうち35.4%がEBを理由として治療を中止しており、服薬アドヒアランス低下に対する影響が示唆されている7。
- Emotional Bluntingに関する調査結果
演者らは、うつ病患者3,376例(18歳以上59 歳以下)を対象としてオンラインアンケート調査を実施し、本邦におけるEBの実態を調査した8。 本邦におけるEBの有症率は67.1%であり、その内訳はEBの経験が「大いにある」が10.0%(338例)、「中程度にある」が20.0%(674例)、「少しある」が37.1%(1,254例)であった(図2)8。
EBの程度別にうつ(Patient Health Questionnaire-9: PHQ-9)、不安症状(Generalized Anxiety Disorder-7: GAD-7)、社会機能(Work and Social Adjustment Scale: WSAS)、QOL(EuroQol 5 dimensions: EQ-5D)との関係をみると、EB症状が「大いにある」と答えた群ではうつ・不安症状と社会機能およびQOLが不良であった8。
このような結果に対し、EBが抑うつ症状の1つではないかとの指摘もある。しかし、Christensenらは、EBの評価スケールであるODQ(Oxford Depression Questionnaire)の増加は、不安、うつ、身体症状、認知機能、背景情報(性別・年齢・学歴など)とは独立して、QOLの指標であるWHO-5スコアを低下させることを報告している9。
【方法・対象】MDDと診断され、抗うつ薬を3ヵ月以上使用していると報告した日本人3376名(18~59歳)を対象にオンライン調査を実施した。主要アウトカムは、検証されたスクリーニング質問を用いて自己報告されたEmotional Bluntingの有病率であった。副次的アウトカムとして、記述的質問を用いたEmotional Bluntingに対する患者の認識と治療へのニーズが探索された。
【Limitation】回答が自己申告であることから想起バイアスがあり、すべてのMDD患者に一般化できない。抗うつ薬のクラスがEBに及ぼす影響については分析していない。横断研究であるため、病気や治療経過によって患者の認識、ニーズが異なる可能性がある。
うつ病におけるEmotional Bluntingの国内実態調査(Neuropsychopharmacol Rep Acceptedより作図)
本研究は武田薬品工業株式会社およびLundbeck社の資金により行われ、著者には武田薬品工業株式会社およびLundbeck社の社員が含まれる
- Emotional Bluntingが回復を阻害していないか
演者らが行った調査では、うつ病の回復に及ぼすEBの影響についても検討した。「EB症状がうつ病になる前の日常生活を取り戻す弊害になると思うか」という設問に対しては、17.9%が「とてもそう思う」、44.8%が「ややそう思う」と答え、約63%のうつ病患者がEBを回復の弊害と捉えていた(図3)8。「EB症状を感じる場合にうつ病の回復状況にどのような影響があると思うか」という設問には、21.6%が「これらの感情があることでうつ病が回復しないと思う」、45.9%が「うつ病の回復が遅れると思う」と答え、約68%のうつ病患者がEBは回復に好ましくない影響があると捉えていた(図3)8。実際に、EBの苦痛度を「全く苦痛でない」から「非常に苦痛である」までの10段階で回答してもらうと、65%のうつ病患者がEBを苦痛である(6以上の苦痛度)と答え、約1/4の患者が強い苦痛(8以上の苦痛度)を有することが明らかになった(図4)8。
これらのEBによる負担(影響)については、患者と医療者で認識が相違している可能性がある。Christensenらは、うつ病の急性期においてEBがQOLに影響を与えていると評価した割合は、医療者よりも患者のほうが高いと報告している10。
うつ病の回復を目指すときに持つべき視点は、回復しようとする変化(レジリアンス)に対して治療者や薬剤が邪魔をしないということである。また、EB症状が改善しない時には抗うつ薬が悪さをしているのではないかと疑い、「引く治療」、例えば薬剤の変更や減量を検討することも重要である11。
【方法・対象】MDDと診断され、抗うつ薬を3ヵ月以上使用していると報告した日本人3376名(18~59歳)を対象にオンライン調査を実施した。主要アウトカムは、検証されたスクリーニング質問を用いて自己報告されたEmotional Bluntingの有病率であった。副次的アウトカムとして、記述的質問を用いたEmotional Bluntingに対する患者の認識と治療へのニーズが探索された。
【Limitation】回答が自己申告であることから想起バイアスがあり、すべてのMDD患者に一般化できない。抗うつ薬のクラスがEBに及ぼす影響については分析していない。横断研究であるため、病気や治療経過によって患者の認識、ニーズが異なる可能性がある。
うつ病におけるEmotional Bluntingの国内実態調査(Neuropsychopharmacol Rep Accepted)
本研究は武田薬品工業株式会社およびLundbeck社の資金により行われ、著者には武田薬品工業株式会社およびLundbeck社の社員が含まれる
【方法・対象】MDDと診断され、抗うつ薬を3ヵ月以上使用していると報告した日本人3376名(18~59歳)を対象にオンライン調査を実施した。主要アウトカムは、検証されたスクリーニング質問を用いて自己報告されたEmotional Bluntingの有病率であった。副次的アウトカムとして、記述的質問を用いたEmotional Bluntingに対する患者の認識と治療へのニーズが探索された。
【Limitation】回答が自己申告であることから想起バイアスがあり、すべてのMDD患者に一般化できない。抗うつ薬のクラスがEBに及ぼす影響については分析していない。横断研究であるため、病気や治療経過によって患者の認識、ニーズが異なる可能性がある。
うつ病におけるEmotional Bluntingの国内実態調査(Neuropsychopharmacol Rep Accepted)
本研究は武田薬品工業株式会社およびLundbeck社の資金により行われ、著者には武田薬品工業株式会社およびLundbeck社の社員が含まれる
まとめ うつ病におけるウェルビーイングとは
近年、うつ病の治療目標として、ポジティブ感情などのウェルビーイングが注目されている。これはパーソナル・リカバリーの概念とも重なるが、難治性うつ病(Difficult to Treat Depression: DTD)のアウトカムとしても位置付けられるものであり、症状改善とは別の角度からのアプローチが必要なことを示している12。
EBとはネガティブ感情の抑制に加えてポジティブな感情も減少するという事象であり、薬剤の影響も含めて多くの要因と関連する複合的な概念である。わが国の調査においてはうつ病患者の約2/3がEBを経験し8、苦痛度も高いことが示されている8。しかしその一方で、医療者側がその状況を十分に認識しているとはいえないことに注意が必要である。
ウェルビーイングを高めていくには、ポジティブな感情を阻害するEBの存在を視野に入れながら患者と対話し、もしEB症状と思われる困りごとがあった場合には新たな治療を「足す」ばかりではなく「引く」治療を試すことも必要となるかもしれない。そして、患者のAspiration(こうありたい、このようになりたいと心から願うこと)をどのように見つけ、生かしながら治療できるのかを考えていくことが重要である。