精神薬理学分野の研究と臨床実践:ニューウェーブ編(後編) 人とのつながりで広がる研究の可能性 精神医学クローズアップVol.28
精神科医療において、薬物療法は治療の根幹を支える重要な要素の一つです。
今回は、日本の薬理学研究を長年にわたって牽引し、豊富な臨床経験を持つ稲田健先生をファシリテーターに、次世代の精神科医療を担う若手医師の代表として、櫻井準先生、菊地佑樹先生をお迎えし、「精神薬理研究と臨床実践」をテーマに世代を超えた議論を交わしていただきました。
後編では、研究テーマの変遷や今後の展望、施設・分野の垣根を越えたつながり、後進の育成などについてお話しいただきました。
稲田 健 先生
(北里大学医学部 精神科学 主任教授)<ファシリテーター>
櫻井 準 先生
(杏林大学医学部 精神神経科学教室 講師)
菊地 佑樹 先生
(東北大学大学院医学系研究科 精神神経学分野/こだまホスピタル 診療部長)
「臨床で患者さんを診る日々の中で、目の前の課題に向き合い続けるうちに、研究テーマも自然に変化していった」(稲田先生)
研究テーマの変遷と今後の展望
稲田 私の場合、精神科医になって大学院に入った当初は基礎研究に興味がありましたが、さまざまな事情で生理学の研究室に入り、ラットを使ったグルタミン酸受容体の研究に取り組むことになり、米国留学も経験しました。その後、臨床で患者さんを診る日々の中で、気づけば臨床研究に軸足を置くようになっていました。目の前の課題に向き合い続けるうちに、研究テーマも自然と変化していったような感じです。お2人は、これまでのご自身の研究テーマの変遷や今後の展望について、どのように考えていますか。
櫻井 患者さんに薬をよりよい形で提供したいという思いは以前から変わっていませんが、米国で研究留学中に、日本で使えないうつ病薬によって従来の抗うつ薬で良くならなかった患者さんが大きく改善しているところを目の当たりにしてからは、新しい世代の薬を扱う研究に重点を置きたいと思うようになりました。
菊地 私は研究を始めて間もないこともあって、ずっと同じ研究テーマに取り組んでいます。ただ、今は次々とアイデアが湧いていますが、いつかアイデアが枯渇してしまうのではないかという恐れも感じています。研究者は作家やシンガーソングライターのようなところがあり、今後どうなっていくかはわかりませんが、今は後方視的な研究や、最先端の技術を使って生物学的な変化を追う研究に興味を持っています。
稲田 日常の診療には問いがたくさん隠れていますから、アイデアはこれからもどんどん浮かんでくると思いますよ。研究手法も症例報告から後方視的研究、横断研究、前方視的観察研究、RCTまで幅広く、バイオマーカーを組み合わせるなどの工夫もできるので、発想の余地は今後もまだまだ広がっていくはずです。
「同世代の仲間たちとの交流の中で、診療や研究に対する刺激を受けたり、背中を押されたりすることも多く、横のつながりに助けられてきた」(櫻井先生)
施設や専門分野の垣根を越えた「横のつながり」
稲田 研究のアイデアや幅は広がるとはいえ、個人が持っているリソースには限りがあるため、横のつながりを作って知識や発想を広げていくことも大事だと思っています。そのひとつの場が学会です。学会でその年に取り組んだ研究の成果を発表して、質問やコメントを交わすなかでつながりができ、そこから共同研究が始まることもあります。
櫻井先生は、日本臨床精神神経薬理学会の専門医にうつ病の治療オプションに関するアンケートをとって、「エキスパートコンセンサス」として発表されていましたね。
櫻井 エビデンスがないためにガイドラインでは十分に提示されない臨床疑問に遭遇し、ほかの先生方はどうしているのか知りたいと思うことがしばしばあります。そうした疑問に対して、日本臨床神経精神薬理学会の専門医(エキスパート)がどのように考え、どのような選択をしているのかを調査し、エキスパートからの提言としてまとめました1。専門医が現場で経験的に「この場合にはこうする」と考えていることを、調査結果として集約した形で、学会という場があったからこそできた研究手法ではないかと思います。
また、学会に限らず、同世代の仲間たちとの交流の中で、日々の診療や研究に対する刺激を受けたり、背中を押されたりすることも多く、そうしたつながりにもずいぶん助けられてきました。
菊地 『PCN Reports』という雑誌が創刊されたばかりの頃に症例報告を投稿し掲載されたことがありました2。すると直後に私の報告を読んだ海外の専門家から連絡があり、面識がまったくなかったにも関わらず、関連文献を次々と教えていただき、知識を吸収することができました。英語で発信すると世界の誰かが必ず見ていて、思いがけないつながりが生まれるのだと強く実感しました。
稲田 発信することは大切ですね。雑誌に掲載されることからつながりが広がるケースはよくあります。日本神経精神薬理学会も、日本臨床精神神経薬理学会と共同で、『Neuropsychopharmacology Reports(NPPR)』という機関誌を出しています。PubMedにも掲載される英文オープンアクセス誌です。症例報告などを発表できる場を提供していますので、多くの先生方にぜひ活用していただければと思います。
「地道なデータ収集などの泥臭いプロセスも含めて一緒に取り組みながら、研究のおもしろさを共有していければ」(菊地先生)
次につながる人材の育成
稲田 お2人とも研究・臨床で経験を積み、今では後進を育てる立場になっています。後輩の先生方と関わるとき、どのようなことを心がけていますか。
櫻井 恥ずかしながら十分にできているとは言えませんが、まずは自分がありがたく感じていた指導を後進にも行っていこうと思っています。そのひとつが、2週間に1回のリサーチミーティングです。直接会える人は対面、関連病院に出向している人はWebで、臨床疑問や進捗などを共有する場を作っています。私自身、若い頃にこうした時間が本当に励みになったので、いつでも相談できる体制を大事にしています。
現実的には臨床と研究の両立はとても大変なので、研究についてはカルテ調査など比較的取り組みやすいものから提案していくことが多いです。一方、大学院生には、自身の臨床疑問に基づいたテーマにじっくり取り組んでもらい、必要に応じて倫理委員会の手続きも任せています。それぞれの立場や忙しさに応じて、無理のない進め方を一緒に考えるようにしています。
菊地 私はまだ指導経験は浅いですが、教えるというのは非常に難しいと実感しています。特に難しいのは、後輩が主体的に取り組めるテーマをどのように見つけるかです。私自身挫折した経験から、研究にはつらい時期が必ずありますし、興味の持てないテーマでは継続して力は出しにくいです。本人の関心や臨床疑問が研究テーマに直結することが理想ですが、私の持っている限られたアイデアと擦り合わせて、後輩が主体的に取り組めるテーマになるよう意識します。
また、後方視的研究のように地道なデータ収集が必要な場面もありますが、そうした作業は研究の基礎を身につけてもらえる良い機会でもあります。泥臭いプロセスも含めて一緒に取り組みながら、研究のおもしろさを共有していければと考えています。
稲田 確かに、研究には華やかな部分もあれば地道な部分もありますし、そもそも研究を始めるまでにもそれなりに時間がかかるので、日常の臨床現場で「研究しようよ」と声をかけ続けていくことが大切なのかもしれませんね。
櫻井 稲田先生に伺いたいのですが、いつもにこやかにしていらっしゃるので、その秘訣をぜひ教えていただきたいです。若手に対してはどのように接していらっしゃるのか。
菊地 以前、北里大学医学部精神科学のホームページを拝見したのですが、医局説明会のポスターはとてもユニークで面白いと思いました。どのような経緯であのような形に決まったのでしょうか。
稲田 あのポスターは雑談時に出たアイデアで、プロレスをイメージして作りました。
私は、学生の口頭試問ではいつも「趣味・特技・マイブームは何ですか?」と質問しています。もちろん頑張る時は頑張らなければいけませんが、そうしたものを大事にしている人のほうが、結局、勉強も仕事も長く続けられるように思うからです。
もうひとつ、これは後進育成に限らず、仕事や人生そのものにも通じることだと思うのですが、心に余裕をもつことがすべての土台になります。自分に余裕があったほうが、チームでの共同作業もうまくいくと考えています。
「薬理という軸になる視点や方法論を持っていれば、臨床の中で見えてきた問いを整理し、仲間とつながりながら形にしていくことができる」(稲田先生)
日々の積み重ねが研究につながり、患者さんのベネフィットにつながる
稲田 櫻井先生、菊地先生の話を伺って改めて感じたのは、日々の臨床にしっかり向き合っていれば、自然と「なぜ?」という疑問が湧いてくる、そしてその疑問を丁寧に拾い上げていくことが研究の出発点になるということです。研究テーマは薬理に限る必要はないかもしれませんが、薬理という軸になる視点や方法論を持っていると、臨床の中で見えてきた問いを整理し、仲間とつながりながら形にしていくことができます。そうした積み重ねが、日々の診療の質を高め、患者さんのベネフィットにもつながっていきます。研究というと特別なことをしなければと考えている若い先生方も多いかもしれませんが、まずは日々の臨床で感じた疑問を言葉にして、周囲と分かち合うところから始めてはいかがでしょうか。意欲ある若手をサポートしたい先輩はたくさんいると思います。

<プロフィール>
稲田 健 先生
北里大学医学部精神科学 主任教授
1997年北里大学医学部卒業。その後、北里大学医学部精神科に入局。米国ノースカロライナ大学留学、東京女子医科大学医学部精神科医学講座助教、同講師、同准教授を経て、2022年より現職。専門分野は精神薬理学、精神科学。日本臨床精神神経薬理学会評議員、日本神経精神薬理学会理事、日本精神神経学会代議員、日本うつ病学会評議員、他多数。
櫻井 準 先生
杏林大学医学部 精神神経科学教室 講師
2007年、慶應義塾大学医学部卒業。その後、亀田総合病院にて初期臨床研修。慶應義塾大学医学部精神・神経科学教室助教、米国マサチューセッツ総合病院精神科うつ病臨床・研究部門リサーチフェローを経て、2021年より現職。専門分野は臨床精神医学全般(特に気分症)、精神科薬物療法。日本臨床精神神経薬理学会評議員・医学教育委員・NPPR委員・広報委員、日本神経精神薬理学会評議員、日本うつ病学会評議員、日本不安症学会評議員。
菊地 佑樹 先生
東北大学大学院医学系研究科 精神神経学分野/こだまホスピタル 診療部長
2008年、東北大学理学部生物学科卒業後、弘前大学医学部に入学し2012年卒業。その後、仙台医療センターにて初期臨床研修。その後、東北大学病院精神科に入局。2019年よりこだまホスピタルに勤務。2023年より東北大学大学院医学系研究科社会人大学院生。専門分野は治療抵抗性統合失調症の薬物療法。精神保健指定医、日本精神神経学会専門医・指導医、一般病院連携精神医学専門医、日本臨床神経生理学会専門医(脳波分野)。
取材/撮影:ルンドベック・ジャパン Progress in Mind Japan RC
取材日:2025年11月9日
取材場所:TG studio 日本橋人形町(東京都中央区)
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