診療ガイドライン改訂作業を振り返って ―経験からの学びと課題― エビデンスに基づいた臨床に役立つ意思決定の指針とするために(前編) 精神医学クローズアップ Vol.9
2022年5月に公開された『統合失調症薬物治療ガイドライン 2022』(日本神経精神薬理学会/日本臨床精神神経薬理学会)1、2023年3月に公開された『日本うつ病学会診療ガイドライン 双極性障害(双極症)2023』(日本うつ病学会)2はともに、当事者(患者さん)および多職種の視点を盛り込んで、医療者と患者さんの共同意思決定(Shared Decision Making: SDM)に役立てることを目指しており、両GLとも実際に患者さんとの議論を踏まえて改訂されています。必ずしも最新の知見や専門用語に詳しいわけではない患者さんとの議論では、日常診療とはまた違った形のコミュニケーション技術も必要になったことが想像されます。
『統合失調症薬物治療ガイドライン 2022』のガイドライン作成委員会委員/ブラッシュアップチーム委員の1人である稲田健先生と、『日本うつ病学会診療ガイドライン 双極性障害(双極症)2023』の実務統括を担われた松尾幸治先生それぞれに、GL改訂にあたって作成メンバーが注意を払われた点、完成までのご苦労と工夫された事柄、稲田先生と松尾先生がGL改訂作業を通して得られたご経験と発見などについて伺いました*。
*前編のインタビューに引き続き、後編では学会などを通じてGLをどう普及させていくか、現在改訂中の「うつ病治療ガイドライン」(日本うつ病学会)にどうつなげていくか、これからの精神科領域GLのあり方などについてディスカッションしていただきました。後編も併せてお読みください。
稲田 健 先生(北里大学医学部精神科学 主任教授)
松尾 幸治 先生(埼玉医科大学医学部精神医学 教授/埼玉医科大学病院神経精神科・心療内科 診療部長)
(50音順)
「患者さんと共同作業したことで、日常診療とはまた違う、新たな発見がありました」
(稲田 健 先生)
―『統合失調症薬物治療ガイドライン』が今回、7年ぶりに改訂されるべき理由と背景、改訂にあたっての稲田先生の思いをお聞かせください。
2015年の『統合失調症薬物治療ガイドライン』公開後、GLの一般向け書籍『統合失調症薬物治療ガイド~患者さん・ご家族・支援者のために~』を公表して普及を図っていくなかで、当事者(患者さん)やご家族、多職種から「ここがわからない」「これを入れて欲しい」などの声が寄せられたこと、また、新たなエビデンスが得られて情報の更新が必要になってきたことで、2018年から改訂作業が始まりました。
作成委員会の先生方は「しっかりしたエビデンスに基づき、患者さんの要望に応えるものを作りたい」との思いで集まられました。そのメンバーの1人である私には同時に「委員の先生方が『本当に骨の折れる作業だった。今回限りにしたい』と思わないように調整していきたい」との気持ちもありました。GLの作成や改訂では、すべての要望や思いを採り入れようとすると、ときに摩擦が生じることがあります。「エビデンスに準拠したものを作るべき」との考えがある一方、「エビデンスも大切ではあるが、実臨床に即した事柄も盛り込みたい」との意見もあります。患者さんからも「エビデンスの有無にかかわらず、私たちの意見も汲んでほしい」のとの声が上がっていました。それぞれの先生方が懸命に作っているものが、もしかしたら活かされない可能性があることも考えられるのであり、もしもそうなったとしても「今回限りにしたい」という気持ちにならないように、私なりに調整を図ることを心掛けていました。
内容については全員一致を原則としており、議論が長時間に及ぶことは常であり、決着するまで議論しました。全員の意見が一致するために、推奨のほかに解説を充実させるなどの工夫を行い、多様な意見を盛り込んで紹介しています。
また、今回の改訂では『Minds診療ガイドライン作成の手引き 2017』3に則って作業しています。当たり前とされている事柄についても多くの工程を経なければならないMindsの方法には時間と労力がかかり、また、精神科領域のGLをMindsに準拠して作成することにはやや難しい部分もあるのですが、しっかりとした方法論に基づいたGLを作るためにも、作成委員会ではMindsに準拠して作成することにしました。
―患者さんと多職種の視点の盛り込みなどで、新たな発見などありましたらご紹介ください。
一般的に患者さんは文献を読み込んでいるわけではなく、必ずしも専門用語に詳しいわけでもありません。医師と患者さんとの会議では、ときに認識がかみ合わなくなってしまうことがあり得ます。それを避けるために、患者さんには事前に勉強会に参加していただいたうえで会議に臨んでもらうようにしました。勉強会は市橋香代先生(東京大学精神神経科)に担当していただき、きめ細かい説明とフォローアップのおかげで会議も円滑に進み、我々の説明も理解していただけました。
日常診療でも「患者さんの意見をきちんと聞こう」「傾聴が大切」と言われていますが、きちんと聞くことで本当に新たな発見があることを私自身も再確認できました。患者さんからは「副作用について多く記載してください」との要望が強く、患者さんにとっては薬剤の効果以上に服薬によって生活がどう変わるかに関心が高いことに改めて思い至りました。
―できあがった改訂GLをお手に取られたときの感想をお聞かせください。また、GL改訂作業を振り返って、稲田先生が得られたご経験とは何でしょうか。
まずは「ようやくできあがった」と安堵した次第です。GLは全体会議での合意を得た後に、橋本亮太先生(国立精神・神経医療研究センター 精神保健研究所 精神疾患病態研究部 部長)を中心とした7人のブラッシュアップチームメンバーが、ひとつひとつの記載について、エビデンスに基づいて記載されているか、引用文献は正しいかなどを再度調べ上げ、疑問があれば作成委員に問い合わせて原稿を改訂し続けました。2~3週間ごとに3時間余りのオンライン会議を繰り返し、原稿の改訂回数は190回を超えました。
このように、今回の改訂作業に携わられた先生方には多くのご苦労があったことと存じます。私自身も苦労した点はありましたが、振り返ってみて、非常に充実した経験だったと思っています。また、患者さんとの共同作業では、これまでなかなか医師に言い出しにくかったのではと思われるような、率直な質問とご意見をいただいたことも新鮮な経験でした。
GLの作成・改訂作業は必ずしも大学などで求められる業績になるわけではありませんが、時間と労力をかけるだけの意義ある仕事と考えています。これからも私は機会があれば「GLの作成・改訂に参加してみてください」と呼びかけたいと思っています。
「COVID-19感染禍の中、ゆっくりでも一歩一歩作業を進めてきました」
(松尾 幸治 先生)
―2011年の「日本うつ病学会治療ガイドラインI. 双極性障害」の公開後、2012年に改訂、2017年に一部修正、そして2020年に小改訂が行われました。『双極性障害(双極症)2023』としての今回の改訂ではボリュームを大きく増やし、疾患の特徴、心理社会的支援などに加えて、『統合失調症薬物治療ガイドライン』と同じく、周産期への対応についても記載されています。今回の改訂理由と実務統括である松尾先生の思いをお聞かせください。
2011年当時のGLは文献のレビューが中心でしたが、今回の改訂の理念が「当事者・医師・医療従事者双方が正しい知識に基づいて納得する治療を選択する一助となり、一人でも多くの双極性障害の当事者がリカバリーにつながることを願っている」とあり(2頁目、2023年ガイドラインについて)、SDMのための有効なツールにするためには大幅に改訂する必要性がありました。
改訂にあたってワーキンググループでは「実臨床の最中でも見やすいユーザーフレンドリーなものにしたい」と考えており、私も各方面でそう説明してきました。今回の改訂では約160頁とだいぶ分厚くなりましたが、システマティックレビューかナラティブレビューかを明確に示すなど、見やすさの点で工夫がなされています。
Mindsの方法に基づいたGL改訂についても私自身が改めて勉強していくなかで、それぞれの役割を明確にすることが重要であることに思い至りました。作成統括として渡邊衡一郎先生(杏林大学医学部精神神経科学教室 教授)、加藤忠史先生(順天堂大学医学部精神医学講座 教授)が就き、実務統括である私は全体をスムーズに回すことを心掛けました。作成統括による大まかな枠組みに基づいて細かいスケジュールを組み、作成委員会に提案しました。
しかしながら、2020年2月に予定していたキックオフミーティングがCOVID-19のために直前で無期延期になってしまい、それからが前途多難でした。COVID-19感染禍がいつ終息するかもわからないなかではGL改訂どころではなく、ワーキンググループメンバーは実臨床での感染対策に追われていました。しばらくはスケジュールもまったく立たなかったのですが、2020年5月にコアメンバー会議で「予定どおりにいかないのは仕方がないとしても、止まっていると進みません。ゆっくりでもよいので一歩ずつやっていきましょう」と意思統一を図り、少しずつ動かし始めました。物事は完全に止まってしまうと、再び始動することが難しくなります。実務統括として少しでも前に進めるために、当時、慣れていなかったオンライン会議を導入し、当事者やコメディカルのメンバーからの発言も多く集めました。
―患者さんと多職種の意見の盛り込みにおいて工夫された点をお聞かせください。
ワーキンググループでは、当事者、コメディカルの意見を引き出すことに最も配慮しました。コアメンバーとして会議に入っていただいているこれらのメンバーを含めたすべてのメンバーに、事前に一般向けに作成した説明用資料を見ていただいておきました。こうした資料は今後に作成する予定の一般向けガイドにも応用できるとの考えもありました。
また、オンライン会議では、画面上に多くの医師の顔が並んでいると、当事者およびコメディカルは萎縮して発言できなくなってしまう懸念もありました。そこで医師の参加人数を制限し、発言するのはコアメンバーだけとし、それ以外は原則としてオブザーバーに徹していただきました。こうしたことで当事者・コメディカルメンバーも話しやすくなったと思っています。当事者の発言の中には、議論中の章とは異なる話題を提供されることもありましたが、その際にも、その話題に関連した章の担当メンバーにそれを反映するよう依頼し、できるだけ多くの意見を取り入れるようにしました。
―できあがった改訂GLをお手に取られたときの感想と、GL改訂作業を通して松尾先生が得られた経験についてお聞かせください。
振り返ってみると「まさにCOVID-19に始まり、COVID-19に終わった作業」と言えるでしょう。ただ、たとえCOVID-19感染禍があったにせよ、思いのほか手間がかかってしまいました。「もっと効率的にできたのではないだろうか」との思いはあります。
ただ、できあがったものについてはおおむね好評のようであり、安堵しているところです。前述したように、GLは実臨床で使っていただいて評価されるべきものであり、今後は使いやすいものに仕上がっているかどうかの意見の吸い上げが必要になってきます。そうした声を集約し、次の改訂につなげていきたいと思っています。
次のステップとしては患者さんや一般向けのガイドの作成です。先ほど申し上げましたように、説明会用に作ったスライドも有効活用できたらと思っています。
「次回改訂の機会でも再び実務統括担当者としてやってみたいですか」については、今回の作業で経験を積んだこともあり、そうした機会を与えていただければ、さらに効率的に進め、質の良いものを作っていけるのではないかと思っています。
取材/撮影:ルンドベック・ジャパン Progress in Mind Japan RC
取材日:2023年4月10日
取材場所:京王プラザホテル八王子(東京都八王子市)
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