疾患難治化の背景に潜むトラウマ ~小児期・思春期・青年期のトラウマ体験との関連性とケア~ 精神医学クローズアップ Vol.16
大江 美佐里 先生
(久留米大学 医学部神経精神医学講座/保健管理センター 准教授)
小児期・思春期に体験した虐待やネグレスト、いじめ、自然災害などのトラウマが、生涯にわたり心身の健康にさまざまな影響を及ぼすことが知られています。また、近年では精神疾患の難治化の背景にトラウマが潜んでいることも注目されつつあります。
本稿では、小児期から青年期の精神医学や、精神疾患におけるトラウマティック・ストレス関連疾患の研究に取り組んでおられる大江美佐里先生に、トラウマに関する基礎的な話題から、精神疾患の背景に潜むトラウマに対するケアや支援の在り方、日常診療でのヒントなどについてお話を伺いました。
トラウマの概念と診断基準
―まず、トラウマ(心的外傷的出来事)の概念について教えてください。心理的ストレッサー(ストレス因)とはどのように異なるのでしょうか。
米国精神医学会の精神疾患の診断・統計マニュアル第5版(DSM-5)より、トラウマの定義については「実際にまたは危うく死ぬ、重症を負う、性的暴力を受ける出来事」と表記されています1が、何をトラウマと見なすかについては、これまでも診断基準や診断要件が見直されるごとに変化しています。心理的ストレッサー(ストレス因)とトラウマとの境界は必ずしも明確ではないため、症例ごとに検討する必要があります2。
―心的外傷後ストレス障害(PTSD)の診断・評価に関するトピックスについて教えてください。
トラウマ関連疾患の代表格が心的外傷後ストレス障害(PTSD)ですが、PTSDの診断には特定のトラウマを体験するだけでなく、PTSD症状と呼ばれる中核症状が存在していることが必要となります。しかし実際には、長期・複数回のトラウマ体験後に、PTSD症状だけではなく感情調節や対人関係の問題が前景に立っている、いわゆる「複雑性PTSD」と呼ばれる患者さんがおられ3、臨床現場では診断・治療について課題となっていました。
DSM-5のPTSD診断基準が定められた際、従来の症状構成である「侵入症状」「回避症状」「覚醒度と反応性の著しい変化」に、新たに「認知と気分の陰性の変化」というカテゴリーが作られ、PTSDの疾患概念が拡大されましたが、「複雑性PTSD」という疾患名は創設されませんでした1,2。
一方、World Health Organization(WHO)が作成する国際疾病分類の最新版であるICD-11ではDSM-5とは異なる方針で診断要件がまとめられました4。ICD-11ではPTSDの中核3症状(現在における再体験*、回避症状*、現在における脅威感覚*)を全て満たせばPTSDと診断しますが、PTSDの中核症状の3つに加えて、DSO(disturbance in self–organization:自己組織化の障害*)と呼ばれる3症状(感情の麻痺または過剰な反応*、ネガティブな自己概念の持続*、対人関係困難*)の計6症状を満たした場合に、「Complex PTSD」と診断されることになりました。「Complex PTSD」という診断名が正式に登場したのはこれが初めてです2,5。
従来は、単回ではなく長期・複数回のトラウマによって出現する症状の一群をPTSDと区別して「複雑性PTSD」と捉えていました。ICD-11ではトラウマの性質ではなく症状で分類し、単回のトラウマでもComplex PTSDは起こりうるとされています。これはかなり画期的な考え方で、これまでPTSDの診断基準に含まれていなかったDSOの症状をトラウマと関連づけて検討することができるため、歓迎している臨床家は多いと思います。
*参考文献2に基づく参考訳であり、正式な和訳については2024年8月時点で未発表
「患者さんご自身がトラウマの存在に気づくことで、心の在り方が良い方向に変わることがあります」(大江先生)
疾患の背景に潜むトラウマ
―臨床現場において、一見したところ典型的なPTSDの症状とは異なっているように見えても、実は背景にトラウマがあるケースは多いのでしょうか。
成人してからのトラウマ体験ではPTSDの中核症状が出やすいとされていますが、幼児期や思春期でのトラウマ体験はその後のパーソナリティ形成や神経発達に影響を与えるため、DSOのような症状が出ることが珍しくありません。例えば、対人関係の問題での不登校を主訴としていらした生徒・学生さんに深く話を聞いていくと、実は過去の虐待体験などの影響で人と信頼関係を結ぶことができなくなってしまったということがあります。患者さんご自身がトラウマの影響とは気づいていないケースも多くあります。
―うつ病などの精神疾患の難治化や発達障害(神経発達症)がトラウマと関係しているのではないかとも言われています。
うつ病とPTSDとの併存率は約50%と言われており6、PTSDの診断基準は満たさないけれどもうつ病の診断基準は満たすという方は臨床現場でも経験します。そういう方が難治である場合には、背景にトラウマの影響がある可能性もあると考えられます。また、注意欠如多動症(ADHD)とPTSDも併存しやすい傾向があります7。実際に、これらの疾患は見分けがつきにくく、たとえば落ち着きや集中力がないということも、発達特性の問題なのか、トラウマが原因で感情調節が困難なのか、うつ症状などで集中力がなくなっているのかは臨床的に鑑別するのが難しいです。症状レベルでの細かい鑑別にとらわれず、包括的にとらえて治療方針を立てることが重要です。
―背景に潜むトラウマの存在を知っておくことで、治療のアプローチや効果も変わってきますか。
たとえば不登校の患者さんに対して、パーソナリティや発達特性の問題のみを想定して対応するのと、過去のトラウマ体験がリンクしている可能性を考えて対応するのとでは、治療への踏み込みかたが変わってきます。また、現在の症状と過去の体験が結びついていなかった患者さんの場合には、医療者と話をしていくなかで「過去の体験の影響が今の症状に出ているのかもしれない」と気づくことで、ご本人の心の在り方が良い方向に変わるように思います。
「トラウマ支援においては、当事者に寄り添うことを優先することが大切です」
(大江先生)
トラウマ患者さんとの向き合い方
―トラウマ体験があるかどうかは、どのように聞き取っていけばいいのでしょうか。
初診ではわからないことも多く、無理に聞き出そうとすると患者さんは心を閉ざしてしまいます。ですから語りの背後にトラウマ体験が潜んでいる可能性があることを頭に置きながら、あせらずに接することが大切です。逆に、こちらが「無理に言わなくてもいいよ」という姿勢でいると話してくれたりすることがありますので、信頼関係を構築していくなかで少しずつ情報を得ていけばよいと思います。ともかく「また受診してもよい」と思ってもらえるような雰囲気を作ることを心がけます。
それから、トラウマ体験の有無とは別に、相談できる人がいるかどうか、周りとのつながりを聞いておくとよいと思います。トラウマ関連疾患の病理の一つの側面として、信頼関係が築きにくくなったり、トラウマを打ち明けたところ受け入れてもらえなくなったりして人間関係が壊れるなど、人とのつながりが断たれてしまうことが多くあります。そのようななかでも、ごく少数でもつながれる、受け入れてくれる人がいるというのは回復のうえでとても重要です。周囲にそのような人がいない場合、医療者か、あるいは社会資源を用いるなどして孤立を防ぐことができるように配慮できれば理想的です。
―トラウマ体験のある患者さんに向き合うときには、どのようなことを心がけたらよいでしょうか。
トラウマと聞くとどうしてもその体験に意識が向きがちですが、本人の症状をすべてトラウマ体験で説明しよう、過去に一元化しようというのではなく、トラウマはあくまで疾患のリスク因子の一つと捉えて、「今・ここ」で患者さんと向き合うことが大切です。これはトラウマ関連に限ったことではありませんが、一口に「虐待」や「いじめ」、「災害」といっても事情はそれぞれの患者さんによって異なり、周囲の状況やそれに対する本人の気持ちが累積して今の状態になっているので、その人ごとの文脈を考慮しつつ治療や支援の方針を立てていきます。
トラウマ支援においては特に、中立公正ということよりも当事者に寄り添うことを優先することが大切です。科学者として中立でありたいと思うと、どうしても患者さんの話に事実の裏付けがあるかどうかを追及したくなりますが、医師の仕事の中心は、何かしら「患者さんが困っている症状が出ている」という点だと思います。司法のように事実認定が最終目標ではなく、苦悩・苦痛の緩和を目指すという視点を持って接しています。
―具体的にはどのように治療を行っていくのでしょうか。
過去のトラウマを直接扱わなくても効果を示す治療法の存在が最近明らかとなってきました。実際、「現在中心療法」というものが、国際トラウマティック・ストレス学会のガイドラインにおいて標準的な治療法として推奨されています8。この療法ではトラウマが起こった「過去」ではなく「現在」の生活に焦点を当てますが、治療者が患者さんの過去を見なくてもいいということではなく、患者さんの過去のトラウマの情報を得たうえで、”現在の症状はその影響かもしれない”という意識をもって、現在の症状の緩和の手助けをするところに特徴があります。いってみれば「トラウマを意識した、トラウマに焦点を当てないケア」です。
トラウマ体験を直接取り扱うセッションを含んだ「トラウマ焦点化治療」というものもあります。現在中心療法よりも治療効果が高い一方で、正面からトラウマ体験と向き合うために治療を受けることを躊躇する方が多いのが欠点です。また、施行するには治療者は長期間のトレーニングを積む必要があります2。トラウマ焦点化治療と比較すると、現在中心療法は取り組みやすく、一定の効果はあるので、一般の精神科外来でも取り入れやすい方法だと思います。
「トラウマは疾患リスクの1つと捉え、うつ病などの治療と同じような感覚でファーストコンタクト(初期治療)の役割を担ってほしい」(大江先生)
治療の場を探している患者さんのために
―トラウマを持つ患者さんを一般の精神科外来で診る際には、どのような工夫をしたらよいでしょうか。
テキストを用いた心理教育、現在中心療法と薬物療法を組み合わせて初期治療を行うことは、一般の精神科外来でも十分に可能です。
心理教育については、久留米大学医学部神経精神医学講座で作成したトラウマに関するテキスト『緊急事態から「脳・こころ・身体」が回復するしくみ』や、Complex PTSDのDSO症状を取り上げたテキスト『今を生きるヒント』がWebサイト( https://neuropsy-kurume.jp/production )から無料でダウンロードできます。各章の読了時間は5分程度ですので、日常診療に取り入れていただくことは十分に可能です。また、令和6年度の診療報酬改定によって、「心理支援加算」が導入されました。これは心的外傷を有する患者に対して、精神科を担当する医師の指示を受けた公認心理師が、対面による心理支援を30分以上実施した場合に、月2回を限度に250点算定できるものです9。一般精神科外来で、こうした制度をぜひ活用いただきたいと思います。
薬物療法については、現在日本ではSSRIの一部に保険適用がありますので、この点についてはうつ病診療と同様の投与方針で構いません。ただしベンゾジアゼピン系抗不安薬の使用については留意した方が良いという報告があります10ので、その点を考慮して処方を行っていただければよいでしょう。
―トラウマは専門医でないと対応が難しいと考える先生方もいらっしゃるかもしれません。大江先生からアドバイスやメッセージをいただけますか。
患者さん一人一人を診ながら治療するという点ではうつ病や他の疾患でも同じで、トラウマが絡んでいるから特別に難しいということはありません。ファーストコンタクトの段階ではトラウマを疾患のリスク因子の一つと捉え、うつ病治療などと同じような感覚で診ていただけるとありがたいです。
もちろん、重症例や治療困難なケースまで一般精神科外来で診療を続けていただくべきとは思っておらず、必要に応じて専門医に紹介していただいて構いません。まずは「診てみましょう」と初期治療に携わってくださる先生が増えることが、治療の場を探している患者さんの大きな助けになります。
「こころの金継ぎ」をサポートする気持ちで
―最後に、先生が提唱されている「こころの金継ぎ」に込められた思いをお話しいただけますか。
欠けたり割れたりしてしまった器を漆で修復し、金粉で仕上げる伝統的な技法を金継ぎといいます。戦国時代の方々はその金継ぎをした箇所を「景色」と呼び、元の器にはない、別の新たな魅力・価値があると考えたのです。
ここで器をこころに置き換えて考えてみます。残念ながらトラウマ体験自体はなかったことにはならないですし、こころが壊れたこと自体は変えられないかもしれません。しかしながら、その方々が回復していく過程で「こころの金継ぎ」ができたならば、その器は新たな価値を持って輝くことができるのではないだろうかと考えて、このような言葉を造りました11。
トラウマの治療では、症状を完全に消失させることは難しいかもしれません。ですが、今より少しでも改善するにはどうしたらいいかを患者さんと一緒に考えていくことはできます。そして、少し改善されるだけでも、ずいぶんと社会への適応がしやすくなったという方や、なかには回復されて社会で活躍されて、もう通院の必要がなくなったという方もいらっしゃいます。そうした「こころの金継ぎ」のお手伝いをさせていただくつもりで、これからも患者さんと向き合っていきたいと思っています。
取材/撮影:ルンドベック・ジャパン Progress in Mind Japan RC
取材日:2024年7月25日
取材場所:久留米大学医学部 神経精神医学講座 会議室
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