精神科医のためのセロトニントピックス ~不安症、うつ病、トラウマとの関連性~(後編) 精神医学クローズアップ Vol.14
精神疾患とセロトニンの関係性は強く、特に不安症、うつ病、トラウマとの関連性について多くの知見が蓄積されています。本稿では、精神科医として臨床に携わる傍ら、情動とセロトニンとの関係について先駆的な研究を一緒に行ってこられた井上猛先生、泉剛先生に、セロトニンと精神疾患に関するトピックについてお話を伺いました。
後編では、「小児期ストレス・トラウマと精神疾患」にフォーカスを当てます。最近注目を集めつつある二者の関係について、動物実験やセロトニンとの関連など、解明されてきたことを中心にご解説いただきました。
井上 猛 先生
(東京医科大学メンタルヘルス科(精神医学分野) 主任教授)
泉 剛 先生
(北海道医療大学薬学部薬理学講座臨床薬理毒理学 教授)
後編 小児期ストレスと精神疾患 ~Translational researchの重要性
「精神疾患患者さんの一部は小児期のストレス・トラウマを抱えているように感じます」(井上先生)
―小児期のストレス・トラウマと成人期の精神疾患との関係性について教えていただけますか。
井上 近年、ネグレクトなどの不適切な養育、体罰などの虐待、過干渉、いじめといった小児期のストレス・トラウマが抑うつ、不安といった精神症状の危険因子になることが指摘されています1-5。ただ、小児期ストレス・トラウマがうつ病や不安症の発症にどのように関与するかは十分に研究されていません。
自身の診療経験から、多くの精神疾患患者さんは小児期のストレス・トラウマを抱えており、そのストレス・トラウマが不安症やうつ病の症状を修飾している可能性があるのではないかと考えています。私たちが行った調査6では、小児期の被害経験が神経症傾向を引き起こし、成人期に抑うつ症状に至る連鎖反応を引き起こす可能性が示唆されました。
また、ストレス・トラウマを抱えた患者さんでは、抑うつ的反芻が起こりやすいですね。抑うつ的反芻を解いたり減らしたりする認知行動療法によるアプローチが行われています。さらに生物学的な脳神経回路の面からストレス・トラウマの解明が進むと、薬物療法的なアプローチも可能になると思います。
―小児期のストレス・トラウマと精神疾患の関係は、精神科領域では注目されているのでしょうか。
井上 小児期の体験と成人期の精神疾患とを関連させて考えるというのは、最近注目されていますが、まだ精神科医に浸透しているとはいえないと思います。
前編で泉先生から、トラウマにおける「恐怖条件付けの消去」について、脳内の投射経路やセロトニン受容体に注目したお話がありましたが、私は戸田裕之先生(現・防衛医科大学校精神科学講座 教授)とともに、母子分離ストレスでの研究を行いました。母子分離ストレスとは、幼若期(生後2~14日)のラットを毎日3時間、母親から分離するという方法で、母子分離ストレスを負荷したラットに恐怖条件付け実験を行うと、すくみ行動(不安行動)が増強する、言い換えれば恐怖条件付けの消去が遅延することが示されました7。
泉 幼若期ストレスの研究で最も多いのが、井上先生が述べられた母子分離です。
幼若期ラットにストレスを負荷する実験は、私も北海道大学の精神医学教室および薬理学教室で行っていました。当時、北海道大学薬理学教室に在籍していた富樫廣子先生が、生後2~3週齢のラットに電撃ストレスを1週間負荷する幼若期ストレスの研究を始められ、成熟後にさまざまな情動関連行動に変化が起きることを示されました8,9。
また、高架式十字迷路試験という、内在性不安を評価する研究手法もあります(図1)10。
松崎広和先生(城西大学薬学部薬学科 助教)が行われた高架式十字迷路の研究11では、幼若期ラットにストレスを負荷したところ、雄ラットに関しては予想していた反応と真逆の結果で、内在性不安が低下することが認められました。一方、この反応は雌ラットでは認められませんでした。理由は不明ですが、性差が認められたことは重要な知見でした。また電撃ストレスによる恐怖条件付けの実験では、雄より雌のほうがすくみ行動を発現しやすくなることもわかりました。
女性のほうが不安症やうつ病の発症頻度が高いという報告もあるので12、臨床での傾向と合致する基礎研究の結果だと考えます。
図1 高架式十字迷路試験 試験装置
水平方向・垂直方向のいずれか一つは壁のある閉鎖された環境(closed arm)、もう一つは壁のない開けた環境(open arm)にした十字型の迷路を高架で作成し、迷路内にラットを放す。ラットは壁がない空間で不安を感じると考えられており、通常closed armに長く滞在するが、open arm上に滞在する時間が長いときは内在性不安が小さいと判断される。
「小児期のストレス・トラウマが、セロトニン神経系に何らかの影響を及ぼしていると考えられます」(泉先生)
―セロトニン(5-HT)受容体とのかかわりについてはいかがでしょうか。
泉 幼若期(生後3週齢)のラットに5日間電撃ストレスを負荷する「3週フットショック(3wFS)」を行うと、成体ラットの内側前頭前野および海馬において5-HT1A受容体の機能が低下すること、海馬においては5-HT1A受容体数が減少することが報告されています13,14。また、扁桃体への5-HT1A受容体アゴニスト局所投与で、3wFSによるすくみ行動の低下が示されました14。
これらの知見から、幼若期のストレス・トラウマがセロトニン神経系に何らかの影響を及ぼしていると考えられます。井上先生がかかわられた臨床研究においても、ネグレクトなどの小児期ストレスが背景にあると、成人期でのうつ病が難治化しやすいという報告がされています15。
また、3wFSを受けたラットの海馬におけるmTOR系の変化・異常が、うつ病との関連で注目されています。当教室で鹿内浩樹先生が中心となって研究を進めているのですが、3wFSうつ病モデル動物の海馬におけるmTORタンパクを測定すると過剰発現していることがわかりました16。また、私たちはうつ病モデルラットで視床下部-下垂体-副腎(HPA)系の調節分子かつmTOR系にも関与するFKBP5と、PI3K/Akt/mTOR系の分子であるAktおよびmTORC1が変化していること17,18、扁桃体におけるFKBP5の異常はセロトニン再取り込み阻害で正常化すること18を示してきました。恐らくセロトニン神経系の変化が脳内の神経伝達系、情報伝達系に関与して、症状の形成に何らかの役割を果たしていると考えられますが、セロトニン神経系の変化と遺伝子・分子の変化をつなぐメカニズムは未だ不明であり、解明されていないことも多くあります。
井上 3wFSは、ヒトに置き換えると小児期の体罰、虐待などと捉えることができます。臨床研究でも報告されているように19、小児期にストレス・トラウマを受けた人は、成人してからもストレス・トラウマの影響を強く受けることを示唆しているように思います。
基礎研究ではありますが、セロトニン神経系が関係していること、5-HT1A受容体を刺激すると不安を緩和する可能性があるという泉先生のお話から、このような患者さんに5-HT1A受容体アゴニスト/部分アゴニストを用いることは一考の余地があるのかもしれないですね。前編でも申し上げましたが、動物実験で示されたメカニズム、生物学的な変化を知ることが臨床でも重要だと、改めて思いました。
「難治性の精神疾患患者さんでは、小児期の虐待経験に留意を」(泉先生)
―小児期のストレス・トラウマと性差についてはいかがでしょうか。
泉 精神科では女性患者さんの方が多いのですが、トラウマに関係するような症状を訴えるのは女性に多い印象があります。少し前まで臨床ではトラウマをあまり重視しておらず、心的外傷後ストレス障害(PTSD)という特殊な病態に関係していると考えてきました。近年は研究が進み、精神疾患と小児期のトラウマ体験に関連性があることが分かってきています。
井上 実際、小児期の虐待経験を持つ場合はうつ病の難治化や、再発が多いと報告されています20。いったん改善しても、何らかの刺激で抑うつ的反芻があると、過去のストレス・トラウマを思い返してしまい、同じ心的ダメージを受けるような形になるのではないでしょうか。抑うつ的反芻は減らさなければならないですね。
泉 最近、精神科医の先生方と情報交換を行う機会があり、女性の先生が話題に挙げられたのが「難治性の精神疾患患者さんには虐待のバックグラウンド、特に性的虐待を経験している人が多い」ということでした。一方、男性の先生方はそういう印象をあまり持っていませんでした。その理由はシンプルで、性的虐待について、女性患者さんは女性医師には話しやすいが、男性医師には話しづらいと考えられるからです。それゆえ、多くの女性の先生方は小児期のトラウマに対してよく認識されているのですが、男性の先生方は認識が乏しいと思われます。
井上 性的虐待まではいかないまでも、性的なハラスメントを受けている例は少なからずあるのではないかと思います。マスコミなどを通じて性被害を公表する方は増えているものの、男性医師には話しづらい内容だと思います。また、話をすること自体がつらい気持ちや心の傷を呼び起こす可能性があるので対応が難しいですね。
泉 性的被害を受けた女性ではドメスティック・バイオレンスなどの被害を繰り返し受けやすいことが知られています21。これは反復強迫22といわれる現象ですが、実はアルコール依存症(アルコール使用症)においても脳内(海馬、線条体など)の変化によって、快感を感じないのに強迫的に連続飲酒を続けるという現象があります23。アルコール依存症とうつ病・不安症を一緒に考えてよいか議論が残りますが、今後脳科学の側面から研究が進み、機序などが解明されれば、類似あるいは共通した脳の変化がみられるかもしれません。
井上 反復強迫にまつわるお話は、臨床上分かっていることを基礎研究に戻って機序の解明を目指すというreverse translational researchですね。
私たちの共通の“師匠”にあたる小山司先生(北海道大学名誉教授)は、「精神医学が医学であるためには、増えたセロトニンがどの受容体に作用してこの患者さんを良くしているのか考えなければいけない。それを考えずに治療してはならない」とよく話していました。抗うつ薬を投与してうつ病が改善した、というだけでは民間療法と変わらないわけです。
正直なところ、セロトニン神経系はまだ分からないことも多いのですが、泉先生などが主導する基礎研究などにより少しずつ機序が明らかにされています。特に若い先生方には、精神薬理・神経科学の知見を理解しながら、臨床経験を積んでいただきたいと思います。基礎と臨床は相互にフィードバックしながら調べていかないと、精神疾患の機序解明は遅々として進みません。
―性被害について、男性医師では話しにくいとの話がありましたが、聞き取りについて工夫されていることはありますか。
井上 私の場合、研究用ですが、養育や虐待などをソフトな言い回しで尋ねるタイプの質問紙(図2)24-26を使用しています。患者さんに記入していただき、医療者側が理解・把握し、つらい思いをしてきたことを理解することで安心感を醸成するようにしています。また、患者さんにお伝えするアドバイスのコツとしては「恐怖を与える人、いわゆる“怖い人”とは触れ合わないにようにする、優しい人だけと触れ合う」ことを強調したいですね。“怖い人” からの刺激はフラッシュバックを誘発し、さらに抑うつ的反芻が起きやすくなるからです。人間関係を変えるだけでも大きく改善する患者さんはいます。
図2 質問紙の例:日本版子ども期のトラウマ体験質問紙(CTQ-J)より抜粋
©2023 Department of Global Health Promotion, Tokyo Medical and Dental University
東京医科歯科大学公衆衛生学分野:当研究室で開発もしくは翻訳した質問票について
https://tmduglobalhealthpromotion.com/project/#article08(2024年6月5日閲覧)
Mizuki R, F et al.: Psychol Trauma. 2021; 13(5): 537-544.
Bernstein DP, et al.: Childhood Trauma Questionnaire (CTQ). APA PsycTests. 1994
https://psycnet.apa.org/doiLanding?doi=10.1037%2Ft02080-000
(2024年6月5日閲覧)
―ストレス・トラウマを抱える人に特有の思考はありますか。
井上 自分よりも他人のことを優先してしまう”他人に優しすぎる性格”の人が多いと思います。そのため、医師としては逃げてほしいのですが、”怖い人”を許容してしまうのだと思います。
私見ですが、この背景にも小児期の体験が色濃く影響していると考えています。小児期に周囲の大人から「お前はダメだ」と否定され続け、それが刻み込まれていると、その人は、成人して“怖い人”に接したときも「ダメだ」と言われることが当たり前、自然なことのように捉える傾向が見受けられます。私が「なぜ“怖い人”から逃げないのですか」と尋ねると、「怒られるのは自分が悪いからで、自分で克服しなければいけない、だから頑張っています」とおっしゃるのですね。自己評価が低い方が多く、トラウマをさらに受けることから逃れられない方がいると思います。
逆に、子どもの頃に強い否定を受けずに育てられた人は、大人になって“怖い人”に会うと逃げることを考えます。こちらが正しい適応行動ですから、私は患者さんに「そういう“怖い人”からは遠ざかったほうがいいですよ」と繰り返しお伝えしています。
―幼若期(ヒトにおける小児期)のストレス・トラウマで、注目している研究はありますか。
泉 朴秀賢先生(熊本大学大学院生命科学研究部神経精神医学講座 准教授)が行った海馬におけるレチノイン酸伝達系の変化です27。レチノイン酸は細胞の発生や分化に関係します。動物実験では、幼若期ラットの母子分離により海馬歯状回由来の神経前駆細胞においてレチノイン酸α受容体の発現、および神経への分化が低下することが示されました27。この結果から、小児期にストレスやトラウマがあるとレチノイン酸の神経新生や分化における働きが障害されているのではないかと考えられます。
「若い先生方には、ぜひ実臨床と研究の両立に勤しんでいただきたい」(井上先生)
―最後にメッセージをお願いします。
泉 昨今、研究環境が大きく変わりつつあります。井上先生も私も、以前から実臨床と基礎研究の“二足の草鞋(わらじ)”を履いて過ごしてきました。最近は神経科学領域の研究も光遺伝学などが登場して高度化しており、忙しい臨床と両立しながら研究も同時に行うことが難しい状況になってきました。
しかし、実臨床を知らずに臨床・基礎研究が進むかというと、決してそんなことはありません。実臨床から「なぜこの治療が効くのか」と自問自答しながら研究マインドを育み、ニーズを把握している先生方と一緒に研究を進めていきたいですね。
井上 小山先生にはさまざまなご指導を受けましたが、基本的には好きな研究をさせていただきました。
若手の先生方には、ぜひ伸び伸びとした環境で実臨床と臨床・基礎研究に勤しんでいただき、精神薬理を含めた精神医学を益々発展させていただきたいと願っております。
<プロフィール>
井上 猛 先生
東京医科大学 メンタルヘルス科(精神医学分野) 主任教授
東京医科大学病院 認知症疾患医療センター 副センター長
1984年北海道大学医学部卒業。北海道大学医学部附属病院精神科、市立小樽第二病院精神科を経て、1987年に北海道大学医学部精神医学分野に帰局し、助手、講師、准教授を務める。1995~6年に米国ウィスコンシン大学マジソン校精神医学教室留学。2015年 5月より現職。専門はストレスの臨床・動物実験研究、SSRIの精神薬理などで、日本の精神医学におけるストレス研究をリードしている。
泉 剛 先生
北海道医療大学 薬学部薬理学講座(臨床薬理毒理学分野) 教授
1990年北海道大学医学部卒業。北海道大学大学院医学研究科精神医学分野および関連病院で不安障害と感情障害の臨床に従事しながら、恐怖条件付けストレスモデルによる不安の実験的研究を行う。2006年に同大神経薬理学分野へ移り、不安の脳内メカニズム、SSRIの作用機序、幼若期ストレス、うつ病の動物モデル等の研究を行う。2013~4年に米国アルバート・アインシュタイン医科大学精神科留学。帰国後、神経薬理学分野の准教授を務めた後、2017年より現職。
取材/撮影:ルンドベック・ジャパン Progress in Mind Japan RC
取材日:2024年3月15日
取材場所:ルンドベック・ジャパン(東京都港区)
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