診療ガイドライン改訂作業を振り返って ―経験からの学びと課題― エビデンスに基づいた臨床に役立つ意思決定の指針とするために(後編) 精神医学クローズアップ Vol.9
『統合失調症薬物治療ガイドライン 2022』(日本神経精神薬理学会/日本臨床精神神経薬理学会)1のガイドライン作成委員会/ブラッシュアップチームのメンバーの1人である稲田健先生と『日本うつ病学会診療ガイドライン 双極性障害(双極症)2023(以下 双極性障害(双極症)2023)』(日本うつ病学会)2の実務統括を担われた松尾幸治先生それぞれに、作成メンバーがGL改訂にあたって注意を払われた点、完成までにご苦労された事柄と工夫された点、稲田先生・松尾先生がGL改訂作業を通して得られたご経験と発見などについて伺った前編のインタビューに引き続き、後編では学会などを通じてGLをどう普及させていくか、現在改訂中の「うつ病治療ガイドライン」(日本うつ病学会)にどうつなげていくか、これからの精神科領域GLのあり方などについてディスカッションしていただきました。
稲田 健 先生(北里大学医学部精神科学 主任教授)
松尾 幸治 先生(埼玉医科大学医学部神経精神科・心療内科 教授/埼玉医科大学病院神経精神科・心療内科 診療部長)
(50音順)
―稲田先生は松尾先生の、松尾先生は稲田先生のお話を聞かれた所感をお聞かせください。
稲田 『双極性障害(双極症)2023』で特筆すべきは最後のブラッシュアップに時間をかけたことです。多くのメンバーで書いた原稿を少人数で最終的な完成形にするのは困難な仕事であり、素晴らしいと思います。
『統合失調症薬物治療ガイドライン 2022』でも、私も加わったブラッシュアップは、当該の章の専門家である執筆者の先生方のご意見を尊重しながら形式を整えました。
松尾 稲田先生がおっしゃられた「患者さんにとっては薬剤の効果以上に服薬によって生活がどう変わるかのほうが関心が高い」には私もまったく同感で、患者さんは効果以上に副作用を気にされていることを再確認しました。コアメンバーの当事者の方に「精神科医にはもっと検査をしてもらいたい」と言われました。「副作用の影響も含めて体のことをもっと心配してもらいたい」という耳の痛いご意見です。こうしたことも受けて『双極性障害(双極症)2023』では「副作用とモニタリング」の章で詳細に記載しています。
―稲田先生・松尾先生それぞれが、改訂作業にあたるメンバーの1人として大切にしてきた姿勢についてお聞かせください。
稲田 幅広い知見、公平性、根気など、私なりに多くのことを大切にしてきました。エビデンスを重視しながらも、実臨床で役立てていただくGLにするためには、決して押し付けにならないよう、多くの意見を取り入れていくことも重要です。作成委員会メンバーの1人として、難しいながらもこのバランスを大切にしたいと思い、どんなご意見についてもそれをきちんと聞き、たとえ採用されなかったとしても、納得していただけるように丁寧に返答することを心掛けました。多くの意見を聞くことは大変ではありましたが、とても有意義でした。
松尾 前述したように(前編をご覧ください)、ワーキンググループでは第一に「ユーザーフレンドリーなGLにしたい」と考えていました。エビデンスをおさえつつも、実臨床ではエビデンスの乏しい領域の情報こそ知りたいことが少なくありません。このことからクリニカルクエスチョン(CQ)についてもシステマティックレビューしたものに加えて、エビデンスの乏しい領域については無理にシステマティックレビューをせずにナラティブレビューで記載しています。エビデンスが乏しいながらも重要なテーマをナラティブレビューに落とし込み、執筆者の意見を反映させていくことでバランスを取っています。『双極性障害(双極症)2023』では、CQの記載がシステマティックレビューかナラティブレビューかについては明示しています。
―GL改訂に携わったご経験は、先生方のその後の臨床と研究にどのように活かされていますか。
稲田 GLはその目的として「医療者と患者さんの意思決定のためのツール」を挙げており、改訂作業後には私自身も「患者さんと共に意思決定していこう」との考え方がこれまで以上に強くなりました。また、若手の指導においても「まずはGLに則っていこう。そのうえでGLに準拠できないところがあれば、患者さんと話し合っていこう」と話しています。疾患の性質上、患者さんが治療について完全に納得されないことはありますが、若手にGLに基づいてのSDMを指導することで、若手が担当する患者さんも、ご自身の治療をより理解・納得されていると感じています。
松尾 私も従来から患者さんと話し合ったうえで治療を決定してきたのですが、稲田先生と同じく、GL改訂作業後には、それをさらに意識するようになりました。
また、多職種の視点が学べたことも大きな収穫です。たとえば副作用への対応については経験豊かな薬剤師のご意見は貴重で、薬剤師ならではの新たな視点も得ることができました。多くの視点から診ていく必要があることを改めて認識したことで、これまで以上に謙虚な姿勢で臨床に臨んでいます。
―学会などを通じて改訂GLをどう普及させていき、治療のさらなる向上に結びつけていくかについて、お考えをお聞かせください。
松尾 双極性障害の治療には、躁病エピソードに対する治療、抑うつエピソードに対する治療、維持療法、社会心理的支援などバリエーションが多く、普及度を測るアウトカムを明確に決めにくいところがあります。私は現時点では「少なくともGLを参照していただけているかどうか」が重要と考えています。
将棋にたとえれば、定石を踏まえずに駒を動かすのは我流となり無謀な手となります。一方、基本である定石通りにしていても勝てるわけではありません。GLもいわば治療の「定石」であり、参照しておさえておくべき基本です。しかしながらGL通りに従ってもすべて治せるほど易しいものでもありませんので、その先をどう攻略していくかは、それぞれの先生の腕の見せどころではないかと思います。
稲田 医療者向けの講習会であるEGUIDEプロジェクト(精神科医療の普及と教育に対するガイドラインの効果に関する研究プロジェクト)に加えて、GLの当事者向け版を作成し、それを用いた当事者向け講習会を開始しています。第17回日本統合失調症学会(2023年3月25~26日)でも行っており*、第53回日本神経精神薬理学会年会(2023年9月7~9日)でも実施する予定です。こうした機会をつくることで、患者さんの理解がより深まり、治療へのモチベーションがより高まることを願っています。
<脚注>
*当事者・家族向けワークショップ「上手な診察の受け方のコツ(うけコツ)〜統合失調症薬物治療ガイド2022より」。稲田先生もファシリテータの1人として登壇されています。
―『統合失調症薬物治療ガイドライン 2022』と『双極性障害(双極症)2023』が、現在改訂中の「うつ病治療ガイドライン」にどうつながるか、また、「うつ病治療ガイドライン」へのご期待をお聞かせください。
松尾 現行の『うつ病治療ガイドライン 第2版』3)は、各章についてGLに基づいた診療を行ううえで知っておくべき実践的な知識が補記としてまとめられているなど、大変有用です。一方で、約160頁と文章量や分量が多く、使い勝手についての意見も聞かれます。今回の改訂にあたっては、統括には日本うつ病学会理事長の渡邊衡一郎先生(杏林大学医学部精神神経科学教室教授)および治療ガイドライン委員会委員長の馬場元先生(順天堂大学医学部精神医学講座 教授/順天堂越谷病院メンタルクリニック科長)が担当され、実務統括をガイドライン委員会副委員長の加藤正樹先生(関西医科大学精神神経科 准教授)が担われるという最強の体制で作成されます。私もオブザーバーとして参加いたします。ワーキンググループメンバーには、『双極性障害(双極症)2023』を基に、最新のエビデンスに基づき、双極性障害(双極症)のGLよりさらに有用なものになることを期待しています。
稲田 『双極性障害(双極症)2023』がとてもよくできていることから、『うつ病治療ガイドライン』改訂版も、その様式をうまく引き継いで読みやすいものになるのではないかと期待しています。生物学的な疾患要素が大きく、エビデンスの多い統合失調症のGL改訂に始まり、病相によって治療が変わることでエビデンスが多くない双極性障害のGL改訂、心理的な影響が大きいうつ病のGL改訂と、盛り込むべき「裾野」がだんだんと広くなっていくことで、『うつ病治療ガイドライン』がどうなるのか、興味深いところです。
松尾 うつ病は統合失調症や双極性障害よりも患者数が多く、今やcommon diseaseではありますが、生物学的に明らかになっていない部分が多いことから、GL改訂にもうつ病ならではの難しさがあるのではないかと想像します。それをどうまとめるのか、楽しみにしています。
―将来の改訂作業に臨む医師・研究者に向けて、これからの精神科領域GLのあり方について、ご提言をお願いします。
松尾 これまで話してきたように、GLには医療者と当事者が診断や治療について議論して意思決定をするための重要なツールとしての役割が求められてきています。また、GL作成過程から出てきた臨床疑問が新たな研究のシーズとなり、さらに新たな発見やエビデンスが得られます。GL改訂作業は疾患に対する研究のレベルも引き上げてくれていると考えています。
Mindsに準拠したGL改訂作業は「改訂し続ける」が前提になっています。若手の先生にとっては、最新のエビデンスを知り、多くのエキスパートと直に意見交換できる絶好の機会です。今回のワーキンググループメンバーの中にも、システマティックレビューの手法を学ぶために参加しているメンバーや、患者さんや医療者の教育に関心を持っているメンバーもおり、さまざまな視座が集まることで、将来的にはさらによいGLが作られていくだろうと思っています。
稲田 松尾先生と同じく、私も「GL改訂を繰り返していくなかで精神科医療はさらによくなっていく」と信じています。これからGL改訂に臨む医師と研究者にはGL改訂作業の中で、現時点でわかっていないことや問題・課題が明確に浮き彫りにされる様子を目にすることができるでしょう。
作成委員会のメンバーや私自身の苦労話をしましたが、結局はそれぞれの勉強のためでもあり、充実した経験であるからこそ皆でやりとげることができたと考えています。新しいことを学び、臨床に活かすことは楽しいことだと思いますので、是非とも多くの先生方に参加していただくことを願っています。
取材/撮影:ルンドベック・ジャパン Progress in Mind Japan RC
取材日:2023年4月10日
取材場所:京王プラザホテル八王子(東京都八王子市)
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