自己記入式評価尺度を用いたうつ病患者の労働生産性評価 インタビューシリーズ~精神科領域における評価尺度を読み解く vol.2

加藤 正樹 先生
(関西医科大学精神神経科学講座 教授)

近年、公衆衛生の分野において、疾患の経済的損失を評価するにあたり労働生産性も評価されるようになってきました。労働生産性を定量化して評価する自己記入式の評価尺度の1つに、Work Productivity and Activity Impairment Questionnaire(WPAI)があり、米国産業環境医学会(American College of Occupational and Environmental Medicine;ACOEM)の専門家パネルによって推奨されています。そこで今回、うつ病患者における労働生産性の低下と、その評価にあたってWPAIを使用することの有用性についてご意見を伺いました。

うつ病は、疾患負荷研究において健康課題の上位の疾患1ですが、経済的な影響も大きいといわれています。先生はどのように思われますか?

うつ病の経済的損失は大きいと思います。慶應義塾大学の佐渡充洋先生らがまとめた『「精神疾患の社会的コストの推計」 事業実績報告書』2によると、日本におけるうつ病のコストは、医療費などの直接費用が約2000億円、労働生産性低下などによる間接費用が2兆9000億円と試算され、実に3兆円を超えるコストがかかっていると推定されました。これは、統合失調症の約2兆8000億円や不安障害の約2兆4000億円を超えるものでした。うつ病の間接費用の中でも、最も大きなコストとなったのがabsenteeismとpresenteeismでした。Absenteeismは欠勤を示し、presenteeismは「健康に関連した生産性の損失」であると定義されており3、出勤している労働者の健康問題による労働遂行能力の低下は主観的に測定が可能であるとされています4

うつ病の経済的損失は大きいにもかかわらず、他疾患と比べるとこれまであまり研究が行われてきませんでした。その背景には、臨床試験では主にうつ病の急性期における治療の有効性が検討され、症状が改善した後の社会復帰をアウトカムとした長期臨床試験は、期間や費用面を考慮すると実施が難かしかったという背景があります。しかし、うつ病治療の真のゴールは、寛解状態を維持し社会的機能を本来のレベルまで改善すること5、症状の改善のみならず社会復帰を目指すことが重要です。現状の治療においては、職場復帰はしたけれども、うつ病罹患前の状態で働くことができない患者さんを多く見受けます。そこで、社会への完全復帰に至る治療過程において、presenteeismについて評価しながらフォローアップしていくことが重要です。

―うつ病の労働者の労働生産性の評価方法について教えていただけますか。

労働生産性を評価するツールの1つに、1993年にReillyらにより開発されたWPAI6があります。WPAIはシンプルな構成の自己記入式の評価尺度で、現在の就労状況の有無とともに、過去7日以内の就労時間・休職時間や、0~10の11段階評価による健康上の問題が仕事の生産性や仕事以外の日常生活に及ぼした影響から、労働生産性や活動の障害を評価することができます。簡便に評価可能な一方で、11段階評価の最大値をどのあたりに設定するかなどについては評価者がきちんと説明する必要があること、また正確性に個人差があることなどの注意が必要です。

医療経済的な評価を行う際には、費用を費用対効果の指標である増分費用効果比(incremental cost-effectiveness ratio;ICER)を算出して評価します。ICERを算出するにあたって必要な医療費以外の生産性損失について、WPAIなどの評価から得られた損失時間に給与(平均時給)を乗じて生産性損失による費用を算出することが可能です。経済的観点から治療薬の有用性を評価すると、単純に症状が改善したかどうかということだけでなく、費用対効果に優れているかどうかという点についても評価可能であり、興味深い情報が得られると思います。

また、従来用いられてきたうつ病の評価尺度であるHamilton Depression Rating Scale(HAM-D)やMontgomery Åsberg Depression Rating Scale(MADRS)の評価で寛解の基準を満たし、スコアに変化がみられなくなった患者さんでも、WPAIの評価では少しずつ改善がみられることがあります。WPAIはこのような患者さんにおいても治療の効果を定量的に評価可能であると考えます。日常臨床において、客観的にみて能率も向上し、前向きにもなってきていて、仕事をしていても疲れなくなってきているようだという感じがしていると判断できても、それを定量化して評価する方法はあまりありませんでした。WPAIは、一般の労働生産性評価として開発されたものであり、うつ病に特化して開発されたものではありませんが、うつ病治療中あるいは寛解後の労働者における労働生産性の評価に有用に活用できるものと考えます。

―WPAIの評価は、うつ病の症状の評価とは全く別物として評価しているという認識でしょうか。

私は、完全に別物とは思っていません。うつ病の患者さんの労働生産性が低下する原因として、疲れやすさ、集中力や意欲の低下などがあります。これらの症状は、うつ症状の残遺症状と考えられます。急性期治療が奏効し社会復帰できそうな段階になると、HAM-DやMADRSのスコアが0か1で迷うような患者さんも多くみられるようになります。このような、うつ病の症状がほとんどないと判断できるような患者さんでも、WPAIの評価を用いるとそれぞれの結果に顕著な差が現れることがあります。ですので、急性期の抑うつ症状の評価にはHAM-DやMADRSなどが感度の高い評価尺度として有用ですが、社会復帰を検討する段階では、HAM-DやMADRSなどよりも、WPAIのほうが社会生活機能の微妙な違いを判断するのに適しているのではないかと考えます。

―うつ病を対象とした臨床研究でWPAIを用いたものはありますか。

WPAIは、STAR*D試験7やREVIDA試験8など、近年ではうつ病患者さんを対象とした臨床試験においても労働生産性を評価するツールとして用いられました。日本でも、日本の健康調査National Health and Wellness Survey(NHWS)のデータを用いてうつ病診断の有無による健康関連アウトカムとコストへの影響について検討した研究9や、インターネット調査によりうつ病診断の有無による労働生産性について検討した研究10などがあり、うつ病による労働生産性を評価するためのツールとしてWPAIを用いることの有用性が注目されています。

―WPAIの有用性とともに、どのような点に注意すべきか、ご意見いただけますか。

WPAIは、6項目の質問から構成される自己記入式の評価尺度であり、簡便に実施できるというメリットがあります。しかし、評価者にとっては、先に述べましたように、0~10の11段階評価の最大値をどのように設定するかなど、患者さんへの説明に慣れが必要かもしれません。また、結果の解釈にあたっては、回答者の主観であることを念頭に置かなければなりません。このような自己記入式の評価尺度では、たとえば楽観的な方でしたらスコアが良好になったり、自身に厳しい方でしたらスコアがあまり良好にならなかったりと、基準に個人差が生じる可能性があります。そのようなことを加味しても、個人的には、WPAIは高度なテクニックを必要とするツールではないと思いますし、一度コツをつかむと問題なく使用可能であると思います。

なお、うつ病ではなく双極性障害の患者さんでは、躁状態の時を「一番仕事ができていた」と考え、そこを11段階評価の最大値として評価する可能性があります。すなわち、躁症状が悪化しているときでないと状態が良いと認識されない可能性がありますので、注意が必要であると思います。

―社会復帰を目指して、どのように職場環境などを評価し整えていくのか、先生のご経験を踏まえてお話しいただけますか。

うつ病治療において、たとえば急性期を乗り越えた後の自宅療養中の患者さんで、復職の目安を立てる段階にさしかかると、「自宅にいてちょっと退屈感はありますか」というような質問を投げかけるようにしています。退屈感が出てくる頃に、復職を目指したサポートをはじめる時期かどうかを判断するようにしています。患者さんが自宅療養を退屈に感じるようになると、復職を意識して、「朝、仕事に出る時間に出かけてみましょうか」という提案をしたりします。しかし、患者さんが仕事を意識するあまり精神的に苦痛になってしまうようなことがあれば、決して無理強いはしません。外出できるようになってくると、自宅外の施設、たとえば図書館を利用するなどして、少しずつ活動の幅を広げていきます。このようにステップを踏んで、復職の準備をしていきます。そして、職場の産業医や人事の方と相談しつつ、就労時間や職場環境を調整しながら復職の段取りを進めていきます。

どうしても職場環境が整わない場合、患者さんによっては元の職場に復帰せずに新たな職場を探すという選択肢をとるという場合もあります。ケース・バイ・ケースで患者さんのメリット・デメリットを考慮しつつ、患者さんにとって望ましいと考えられる目標を設定し、社会復帰のサポートをしていきます。

休職期間が長いと、多くの場合は職場への行き来のみでも相当な体力を消耗してしまいます。ですので、最初は「自分のエネルギーの半分で済むような仕事をやるイメージで行って、残りの半分は残しておくようにしてください」とアドバイスします。そうすることによって、予想外のトラブルがあったとしても余力で対応し、疲れすぎて翌日には職場へ行くことができないといったことを避けることができます。復帰後最初の週はくたくたになっていた患者さんでも、次の週には「もうちょっと時間を延ばせるかも」と言えるくらいに慣れてくる患者さんもいます。患者さんの状態を見ながら、何時間就労するか、残業や出張の許容などについても、段階を踏んで調整していきます。

今回、労働生産性を評価するツールとしてWPAIについて述べましたが、まだ日常臨床ではそれほどなじみのないスケールなのかもしれません。復職を目指している、または就労中の患者さんにとっては、うつ病の評価尺度として従来広く用いられているHAM-DやMADRSなどの評価尺度よりもWPAIのほうが社会生活機能の微妙な違いを判断するのに適していると思われ、社会復帰の目標設定に合致した評価を行うことができるツールであると考えます。

 

取材/撮影:ルンドベック・ジャパン Progress in Mind Japan RC
取材日:2021年5月17日
取材場所:オンライン形式

参考文献

  1. GBD 2017 Disease and Injury Incidence and Prevalence Collaborators. Lancet.2018;392:1789-1858
  2. 学校法人慶應義塾. 平成 22 年度厚生労働省障害者福祉総合推進事業補助金「精神疾患の社会的コストの推計」 事業実績報告書. 平成 23 年 3 月
  3. Loeppke R, et al. J Occup Environ Med. 2003;45:349-359.
  4. 山下未来, ほか. 産衛誌. 2006;48:201-213.
  5. 尾崎紀夫. 精神神経学雑誌. 2010;112:1048-1055.
  6. Reilly MC, et al. Pharmacoeconomics. 1993;4:353-365.
  7. DiBernardo A, et al. BMC Psychiatry. 2018;18:352.
  8. Chin CN, et al. Curr Med Res Opin. 2018;34:1975-1984.
  9. Yamabe K, et al. Clinicoecon Outcomes Res. 2019;11:233-243.
  10. Asami Y, et al. J Occup Environ Med. 2015;57:105-110.