うつ病診療における認知機能の評価と臨床への応用 インタビューシリーズ~精神科領域における評価尺度を読み解く vol.3
住吉 太幹 先生
(国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所児童・予防精神医学研究部 部長)
うつ病では、抑うつ気分などの症状が改善し寛解状態に至っても、認知機能の障害が残存する場合があり1、社会復帰を妨げる要因として注目されつつあります。こうした中、認知機能を測定するための検査法が開発され、本邦でもいくつかの評価尺度の整備が進められています。今回は、うつ病診療における認知機能の評価と日常臨床への応用についてご意見を伺いました。
―精神疾患にみられる認知機能障害について、特にうつ病における意義をお話しいただけますか。
精神疾患の治療における最終的なゴールには、就労、復職、復学といった社会機能の回復・維持が含まれます。それを妨げる原因として認知機能の障害が挙げられ、その適切な評価が求められます。すなわち、認知機能は機能的転帰(functional outcome)の階層の底辺をなし、上位の階層である日常生活技能(機能的能力)や社会機能(機能的遂行力)を下支えする重要な指標とされます。
統合失調症など精神疾患でみられる認知機能障害とは、全般的知的水準からは説明できない言語性記憶や遂行機能などの障害とされます2。すなわち、IQが低下していない患者においても、遂行機能、言語記憶、言語流暢性、処理速度などの認知機能領域を測定する検査成績の低下が生じることを指します。このような認知機能障害の重篤度は疾患により異なり、統合失調症でその程度が最も大きく、うつ病や双極性障害などの気分障害においても比較的軽度の障害がみられます3,4。
うつ病患者164名を対象に実施した調査から、仕事の妨げとなる原因としては、意欲の欠如や気分の落ち込みなどの症状とならび、精神活動の制止/焦燥、集中力や記憶力の低下など、認知機能障害に関連する症状が多いことがわかっています5。また、うつ病患者518名における認知機能(注意/情報処理速度)をDigit Symbol Substitution Test(DSST)を用いて検討した、本邦における研究6なども注目されます。同研究では、半数以上の患者の成績が、健常値よりも1標準偏差以上の低下という基準で定義した場合の認知機能障害に該当しました6。うつ症状が寛解に至っても認知機能障害が残存する場合があること1より、気分症状、認知機能の両者を独立した症候として評価する必要が示唆されます。
―認知機能の評価法について説明いただけますか。
認知機能の評価には、客観的な測定法と主観的な測定法があります。前者には神経心理学的評価バッテリーなどの尺度が、後者には自己記入式評価票などの尺度が用いられます。
認知機能障害を測定する神経心理学的バッテリーには、Brief Assessment of Cognition in Schizophrenia(BACS)7 、MATRICS Consensus Cognitive Battery(MCCB)8などがあります。気分障害に特化したものとしては、MCCBを双極性障害の認知機能障害測定のために調整したInternational Society for Bipolar Disorders-Battery for Assessment of Neurocognition(ISBD-BANC)の開発が、国内外で進められています。一方、主観的な認知機能評価には、自己記入式のPerceived Deficits Questionnaire - Depression (PDQ-D)およびその短縮版で5項目の質問からなるPDQ-D-59 などが、主にうつ病を対象に用いられています6。
認知機能の客観的評価は、患者が自身の状態を適切に把握していない(洞察を欠く)場合に特に有用です。例えば統合失調症では、主観的評価の妥当性が低い場合が多く、神経心理学的検査やインタビューあるいはロールプレイ形式による客観的評価が通常用いられます。しかし、一般の神経心理評価バッテリーを用いて複数の認知機能領域を評価すると1時間以上かかることもあり、日常臨床ではその時間の確保が難しいと思われます。こうした中、短時間で簡便にうつ病の認知機能を評価するには、自己記入式の尺度も有用と考えられます。
以上のように、うつ症状に加えて認知機能などの機能転帰を評価することで、うつ病患者の社会復帰に向けた、より効果的な介入を決定するための情報が得られ、限られた医療資源の合理的な活用にもつながると考えます。
―うつ病の認知機能障害の客観的評価と主観的評価に基づいた介入についてお話しいただけますか。
客観的な測定と主観的な測定から得られる認知機能の評価結果は、必ずしも一致するとは限りません10。客観的な障害がある一方で、主観的な認知機能の困難を訴えない場合は、自身の障害に対する患者の自覚が乏しいと判断されます。「自分は大丈夫だ」というバイアスのため必要時に周囲に援助を求めないことが予想され、家族などの支援をより多く取り入れた治療介入が必要な場合もあります。逆に、客観的には認知機能障害がなく主観的評価でのみ障害を認める場合は、臨床的なレベルのうつ症状が消退していても、閾値以下の症状が残存している可能性があります。このような場合は、心理療法やカウンセリングなどの対応が適当と考えられます。客観的評価、主観的評価の両方で認知機能の低下が認められた場合は、明らかに医学的・心理社会的治療や生活習慣の改善などの介入が必要です。
以上のように、主観的尺度と客観的尺度を併用して認知機能を包括的に評価することで、個々の患者の社会復帰を促す治療を合理的に行うべきと考えます。
―うつ病患者の主観的な認知機能の評価の意義についてお話しいただけますか。
日本で実施されたうつ病患者の機能的転帰を調査する前向き観察研究(PERFORM-J)6,11では、抗うつ薬投与開始後6ヵ月間の抑うつ症状、認知機能、社会機能、QOLなどの変化、およびそれら相互の関連が検討されました。主観的認知機能の評価にはPDQ-Dが用いられました。得られた結果として、抗うつ薬投与開始後2ヵ月時点のPDQ-Dスコアが良好であるほど、6ヵ月時点の社会機能(Sheehan Disability Scaleで測定)が良好でした11。すなわち、治療開始から早期の段階における主観的な認知機能の改善は、後の社会的機能の改善を予測することがわかりました。
日常診療場面における患者自身による認知機能の評価により、治療者との情報共有を効率良く行うことや、うつ病の包括的な理解を深めることが期待されます。このことは、うつ症状のみならず、認知機能を改善させようという当事者の意識の啓発にもつながると思います。
―先生は日常診療で、認知機能評価の結果をどのように応用していますか。
認知機能評価の結果は、日常の診察場面において、患者の就労や復職のタイミングを判断する目安としても活用できると思います。例えば、患者から「そろそろ働きたいので、ハローワークに行ってみようかと思っている」などと相談を受けることがあります。そのような場合に、就労/復職の準備を開始する可否の判断を、認知機能や日常生活技能の評点に基づいて行うことができます。また、測定した認知機能領域のうち、例えば記憶の低下が目立つ場合は「メモを取るように」と促したり、集中力/情報処理の低下が目立つ場合は「スーパーやコンビニのレジ打ちなどの作業は避けた方が無難ですね」などとアドバイスしたりします。
うつ病患者の認知機能を測定する自己記入式尺度の1つに、先述したPDQ-D-5があります。記憶・注意力・集中力に関連する体験を扱った5つの項目について、過去7日間における頻度を5段階(1回もない、1~2回、3~5回、1日に1回くらい、1日に1回以上)で回答します。これらは、気分障害で低下している前頭前野の機能などを反映すると考えられます。PDQ-D-5は患者自身が待合室で記入を終えられるほど簡便かつ短時間で実施可能で、日常診療での使用に耐えうる評価法です。
―まとめとして、最後に一言いただけますか。
認知機能は、対人関係の維持、社会活動、役割の遂行などを支える重要な精神活動であり、簡便に測定する尺度の開発が本邦でも進んでいます。患者の社会復帰を目指した治療をより効果的に行うためにも、それらを用いた認知機能の評価が日常診療に取り入れられることを期待します。
取材/撮影:ルンドベック・ジャパン Progress in Mind Japan RC
取材日:2021年6月23日
取材場所:オンライン形式