うつ病患者に対する個別的な治療目標設定の意義と治療アプローチの実際 インタビューシリーズ~精神科領域における評価尺度を読み解く vol.5

菊地 俊暁 先生
(慶應義塾大学医学部精神・神経科学教室 専任講師)

近年、うつ病治療では、治療方針決定におけるshared decision making(SDM)や患者の主体的な治療参加の重要性が指摘されています。その中で、患者ごとに個別の治療目標設定を行ってその達成度合いを測定する評価スケールGoal Attainment Scale for Depression(GAS-D)の有用性が注目され、臨床研究に使用され始めています。今後、実臨床での活用も期待されるGAS-Dのうつ病治療における意義、および実際の活用方法のポイントについて、菊地俊暁先生にご解説いただきました。

―従来のうつ病治療における治療目標とその課題について教えてください。

従来、うつ病治療では、症候学的寛解の達成・維持が治療目標に位置づけられてきました。そのため治療経過においては、HAM-D(Hamilton Depression Scale)やMADRS(Montgomery-Åsberg Depression Rating Scale)などを用いて重症度測定を行うか、そうした評価尺度を用いない場合でも問題となっている症状の変化を観察して、症状レベルの改善がみられるかどうかを確認することが重視されてきました。背景として、抗うつ薬の有効性を評価する際は、一般に症状改善の程度がアウトカムとして設定されてきたことが挙げられると思います。

しかし、症候学的寛解を達成しても一定程度の残遺症状がある場合、患者さんの治療への満足度は必ずしも十分ではないケースがあります。また、症候学的寛解が得られていても、社会復帰後の社会的機能が問題にならないレベルまで改善しているとは限りません。実際、機能面の回復が不十分なうつ病患者さんは、再燃・再発リスクが高いことが分かってきました1,2。さまざまな理由が考えられますが、心理的な要因も考えられます。例えば、症状改善のみを判断材料としてうつ病休職者を復職させると、休職前と同等のパフォーマンスを発揮できないことがあります。社会的機能を十分に果たせないことで自尊心や自信が低下し、また本人の心理的負担となり、再燃・再発につながる可能性があるのではないかと考えられます。

こうしたことから、うつ病治療では、患者さんが呈している抑うつ症状の改善を目標とすることは、十分ではないと考えられます。復職を含めた社会復帰をいかに果たしていくか、さらに言えば社会的な役割をいかに取り戻すか、ということを視野に入れ、治療目標を設定し直すことが求められていると言えます。すなわち、治療目標として日常生活機能や認知機能を含めた社会的機能の改善、さらには患者さん本人の自分の状況に対する満足度やQOLの向上、well-beingの達成を目指すうつ病治療への変化が期待されていると考えられます。

―うつ病治療の臨床では、治療者と患者さんのコミュニケーションのあり方がどのように変わることが期待されていますか。

うつ病治療の目標が前述のとおり、症状レベルの改善からシフトしていくためには、治療者と患者さんのコミュニケーションや、それに基づく治療方針決定のあり方も、患者さん主体のものに変化していくことが求められていると思います。

もちろん、うつ病患者さんは主体的な判断が困難な状態にあることも少なくないので、治療者が患者さんをリードして治療を進めていくことが必要な場面もあります。しかしそうしたコミュニケーションだけでは、患者さんとしては主体的に治療に参画している意識が希薄になり、治療者や処方される薬剤に「治してもらっている」という受動的な意識になりがちだと思います。その結果、治療目標の設定も患者さん本人の意向や希望に沿った形でなく、治療者が一方的に決め、そして与えるという形になりがちと考えられます。

治療目標を、社会的機能の改善やwell-beingの達成、すなわち患者さん本人がより自分の状況に満足して生き生きとした状態になること、と設定するのであれば、やはり本人が自分の生活においてどうなりたいかという意向や希望を引き出すコミュニケーションが必須と思います。そのうえで、治療方針決定にもshared decision making(SDM)として主体的に関与し、自ら自分を治療していくという意識を持ってもらうことが必要と思います。それによって、患者さんの治療意欲が向上し、治療薬服用についても自ら薬剤選択したという意識から服薬アドヒアランスが向上し、ひいては治療の結果に対する満足度も向上するといったメリットが期待できると考えられます。

―Goal Attainment Scale(GAS)の基本的な考え方と使用方法について教えてください。

上記のように、患者さんが主体的に治療者とコミュニケーションしながらそれぞれの患者さんに個別の治療目標を設定する治療アプローチは、従来、うつ病治療以外に認知症治療やリハビリテーションにおいても行われてきました。すなわち、治療介入の結果を客観的な尺度だけで評価するのが困難で、個々の患者さんが抱える固有の課題に対しアプローチすることが必要となるような疾患治療の場合にそうした方法が採られてきました。そして、そのような個別的な治療目標設定を行い、目標達成度合いを測定するためのツールとしてGoal Attainment Scale(GAS)が開発され、ヘルスケア領域、非ヘルスケア領域を問わず幅広い用途で活用されてきました3

GASの基本的な考え方と使用方法を下記(1)~(3)に説明します。

(1)治療者と患者さんが共同作業で、個々の患者さんに固有の課題を特定する。

(2)特定した課題に対し、治療目標をさらに共同作業で設定する。その際、下記に挙げるSMARTの各要素を満たすことを考慮して目標設定する。

   ―Specific 具体的
   ―Measurable 測定可能
   ―Attainable 達成可能
   ―Realistic or Relevant 現実的 もしくは 妥当
   ―Time-bound 時間的な期限がある

(3)目標のベンチマーク設定を行い、最低~最高の目標達成度に応じて-2、-1、0、+1、+2の評価点を設定する。

   -2 現在(ベースライン)の状態
   -1 期待の半分程度改善した状態
    0 期待どおり目標が達成された状態
   +1 期待していたよりも幾分か改善した状態
   +2 期待していたよりも顕著に改善した状態

このようなGASによる治療アプローチは、前述のとおり患者さん主体の治療目標設定が望まれるうつ病治療に対しても適していると考えられることから、近年、臨床研究においてうつ病改善の評価スケールGoal Attainment Scale for Depression(GAS-D)として使用されています4

本スケールの実臨床での活用はこれからだと予想されますが、治療成功につながるGAS-Dのメリットとしては次のようなものが挙げられます。一つには、目標設定の共同作業を通じて治療者と患者さんのコミュニケーションが活性化されると考えられます。それにより、患者さんは回復に向けた思いや希望がしっかり受け止められているという満足感が得られると思います。また、SDMや主体的な治療参加の意識につながり、治療へのアドヒアランス向上も期待できます。

さらに、GAS-Dでは個別の治療目標を設定するため、患者さんにとって高すぎる目標を達成できずに挫折感を味わうリスクを避けられ、むしろ段階的なベンチマーク設定によって達成感や満足感を持ちながら治療を進めることができると思います。このような個別の目標設定によって達成感や満足感を得ながら治療を進めるという考え方は、うつ病に対して用いられる認知行動療法の技法の一つである行動活性化技法と共通点があります。そのため、GAS-Dは単に評価スケールとして有用であるだけでなく、GAS-Dを使用すること自体がうつ病改善に寄与し、治療的役割を果たすのではないかと考えています。

―うつ病治療の実臨床で、Goal Attainment Scale for Depression(GAS-D)を使用して治療目標設定を行う際の具体的手順について教えてください。

 

  • ベースライン面接―(1)周辺情報の聞き出し・固有の課題の特定

GAS-Dによる治療目標設定を行うベースライン面接では、最初から「目標は何でしょうか」と質問しても、患者さんもなかなか答えられないと思われます。まずは患者さんの日常生活や過去に行っていたことなどの周辺情報を聞き出していきながら、それらを手がかりに患者さんに固有の課題を特定していくことが重要と思います。それらの課題に基づき、「もう少し状態が改善したら○○○○○のようなことをやってみたいという思いがあるのでしょうか」といった形で、治療者側から目標設定のアイデアを提示しながら、丁寧に治療目標を作り上げていく作業が必要になると考えています。

 

  • ベースライン面接―(2)SMARTの5要素を満たす目標設定

目標設定にあたっては、前述のSMARTの5要素を満たすことがポイントになります。

Specific(具体的)

例えば「不安でない状態になる」といった、解釈に幅が生じてしまう目標設定で良しとするのでなく、不安でない状態になるためには実際に何ができるようになればよいのかを明確化し、目標として落とし込んでいくことが必要と言えます。

Measurable(測定可能)

目標達成の進捗状況を数値や段階に落とし込んで表すということです。例えば「不安になることなく人混みの中に行けるようになる」といった目標であれば、想定している不安の程度や人混みの混み具合を数値や段階で表すようにします。

Attainable(達成可能)

一定期間内の短期的・中期的目標として、達成可能と思えるものを設定するということです。例えば「不安(もしくは抑うつ気分)がまったく出ない状態になる」といった目標は、最終的な目標として目指すものではあっても実際に達成するのは相当に困難です。そこで1ヵ月や3ヵ月といった期間で区切り、その期間内で達成可能なものに目標のレベルを下げることが必要になります。

Realistic or Relevant(現実的もしくは妥当)

現実味に乏しい達成困難な目標を設定することは避けるということです。慢性抑うつ状態の患者さんでそうした目標設定を希望することがしばしばみられるのですが、現実的に可能なこととの乖離が状態を悪化させるリスクもあると思われるので、注意が必要です。

Time-bound(時間的な期限がある)

「Attainable(達成可能)」と重複する部分もありますが、目標設定における時間軸の要素として、期限を設定する必要があるということです。基本的には3ヵ月後もしくは1ヵ月後が目標達成の期限として適切であり、それより長期間だと目標への意識を患者さんが持続させづらい可能性があると思います。

          * * * 

設定する目標の個数は、患者さんが意識し続けられる上限を考えると、2、3個が適度だと思います。また、GAS-Dを使用した既報の臨床試験では、患者さんが抱える課題について「心理学的機能」「意欲機能」「情緒的機能」「身体的機能」「認知機能」の5つのドメインを設け、当てはまるドメインを選択して目標設定するプロトコルとなっていました5。実臨床でも、ベースライン面接時に患者さんの課題がこれら5つのドメインのいずれに当てはまるかを意識しながら、目標に落とし込んでいくようにすると設定しやすいのではないかと思います。

  • ベースライン面接―(3)-2~+2のベンチマーク設定

目標を設定したら、前述のとおりに-2、-1、0、+1、+2のベンチマーク設定を行います。評価点に応じて目標達成度合いの条件をできるだけ等間隔に設定するのが望ましいですが、あまり厳密に考えず、治療者と患者さんの話し合いで-2と0の中間、0と+2の中間は何かを合意しながら設定していくのがよいと思います。

  • フォローアップ面接―ベースラインからの改善の確認・目標変更

目標とベンチマークの設定後は、一定の頻度でフォローアップ面接を行います。急性期であれば1、2週に1回程度の頻度が必要となりますが、症状が安定している患者さんであれば2~4週に1回程度で差し支えないと思います。フォローアップ面接時には、ベースラインから何が改善しているかを確認して治療者と患者さんで共有します。ベースラインで設定した目標までの進捗状況によっては、その時点で目標設定し直してもよいと思います。その場合はベンチマーク設定を生かした目標変更が有用であり、例えば目標達成期限の3ヵ月後より早い1ヵ月後にベンチマークの0まで達成できたのであれば、3ヵ月後の目標を+2に上げて治療を続ける、といった調整ができます。

  • うつ病治療においてGAS-D活用に適したタイミング

GAS-Dはうつ病治療のさまざまなタイミングで活用できる可能性があると考えていますが、抑うつ症状が強い急性期には目標設定が困難なケースもあると思われます。やはりある程度症状が改善してきた段階で、さらに社会的機能の改善やQOL向上、well-being達成を目指したいときに使うのが、より適した使い方ではないかと思います。加えて、治療が長期化してきたタイミングで、患者さんからあらためて治療意欲を引き出し、治療への満足度を高めながら治療継続するために、GAS-Dによって目標設定するという使い方も考えられると思います。

―実臨床でGoal Attainment Scale for Depression(GAS-D)を活用してうつ病治療を進める際の注意点について教えてください。

GAS-Dは、治療目標設定によって今後の改善を展望し、さらにベースラインから改善した部分をフォローアップ時に評価していくという形で使われることから、未来志向かつポジティブ思考でうつ病治療を進めることができるツールです。この観点から、ベースライン面接時には、治療者は患者さんとのコミュニケーションにおいて、ポジティブな姿勢で患者さんを支えていくような関わり方を心がけることが重要だと考えています。患者さんは目標・ベンチマーク設定の作業を通じ、自分が抱える課題について、現時点ではできていないという状況を直視せざるを得ません。それにより患者さんがネガティブな思考に陥ってしまうことなく、「3ヵ月後には改善してできるようになっているかもしれない」と未来志向で考えられるよう、治療者が前向きに促していく意識を持つことが必要だと思います。同様な観点から、フォローアップ面接時には、目標をまだ達成できていないというネガティブな評価よりも、ベースラインからできることが増えて目標に近づいているというポジティブな評価をすることが重要だと思います。

他方、回復を目指して根気よく治療していくといううつ病治療の基本的な考え方からすると、明確な目標を設定するGAS-Dのアプローチが患者さんの改善に寄与するのか、疑問を覚える治療者もいるかもしれません。GAS-Dの目標は、患者さんに義務のように達成を求める目標ということではありません。目標設定のポイントは、治療者と患者さんがコミュニケーションの中で「○○○○○ができるようになったらいいね」という希望を共有できることである、と考えてもらいたいと思います。

 

取材/撮影:ルンドベック・ジャパン Progress in Mind Japan RC
取材日:2021年10月4日
取材場所:オンライン形式

参考文献

  1. Kennedy N, et al. Bipolar Disord. 2007;9:25-37.
  2. Porter RJ, et al. Aust N Z J Psychiatry. 2013;47:1165-1175.
  3. McCue M, et al. Neurol Ther. 2019;8:167-176.
  4. Parikh SV, et al. A novel use of the goal attainment scale after change to vortioxetine in the treatment of major depressive disorder. Poster presented at: American Society of Clinical Psychopharmacology annual meeting, 2017.
  5. McCue M, et al. Personalized goal attainment after a switch to vortioxetine in adults with major depressive disorder (MDD): results of a phase 4, open-label clinical trial. Poster presented at: American Society for Clinical Pathology annual meeting, 2019.