精神薬理学分野の研究と臨床実践:エキスパート編(後編)エビデンスと個別化医療を繋ぐ、ガイドラインの役割とは 精神医学クローズアップVol.25
精神科医療における薬物療法は、ガイドラインの策定によって質の向上と均てん化が期待されています。しかし、エビデンスと臨床現場の実態の間には、いまだギャップが存在します。
古郡先生との対談の後編では、ガイドラインの普及と教育を目的とするEGUIDEプロジェクトで当初の実行メンバーであった稲田健先生と、現プロジェクト代表の古郡規雄先生に、ガイドラインの役割について議論していただきました。さらに、お二人が策定に関わったエキスパートコンセンサスガイドラインの意義や、教育者という立場から若手医師に向けたメッセージについてもお話をいただきました。
稲田 健 先生
(北里大学医学部 精神科学 主任教授)<ファシリテーター>
古郡 規雄 先生
(獨協医科大学 精神神経医学講座 主任教授)
「ガイドラインとは、個別化医療を確立するために必要な、現時点での確かなエビデンスをまとめたもの」(稲田先生)
治療ガイドラインとEGUIDEプロジェクト
稲田 2015年に統合失調症薬物治療ガイドライン、2016年にうつ病治療ガイドラインが発表され、その後も改訂が続けられています1,2,3。精神科では初めてのMinds形式に則ったガイドラインでした。古郡先生は個別化医療について研究されていますが、ガイドラインの意義についてはどのようにお考えでしょうか。
古郡 一般化を突き詰めたガイドラインと個別化医療とでは一見方向性が逆のようにも見えますが、個別化医療を実践できるだけのデータがそろっていない現時点では、ガイドラインが最も治療が成功する確率が高い道を示す指標になると思っています。やはり、50%より70%の成功率を選びたいというのが自然な判断ですからね。
稲田 個別化医療を確立していくために必要な、現時点での確かなエビデンスをまとめたものがガイドラインであると思います。このガイドラインについて、講習会などを通して「普及・教育」を行うとともに、その効果を「検証」し、それを踏まえてガイドラインの「改訂」へとつなげていくEGUIDEプロジェクト(精神科医療の普及と教育に対するガイドラインの効果に関する研究:Effectiveness of GUIdeline for Dissemination and Education in psychiatric treatment)4が全国的に展開されて9年が経過しました。
古郡 私も講習会に参加したのですが、知識を伝えるだけでなく、ガイドラインの限界をしっかりと伝えたうえで使い方を学んでいけるように考えられていて、これは意義深い活動だと感じました。ガイドラインの取り扱い方を一度身に付けておけば、双極症やパニック障害など、他の疾患のガイドラインに応用できますから。
「EGUIDEの活動が、カンファレンスでのディスカッションの向上に寄与している」(古郡先生)
エビデンスと臨床現場とのギャップ
稲田 一方で、EGUIDEの活動を通してガイドラインで推奨されているエビデンスと臨床現場とのギャップ(エビデンス-プラクティスギャップ)の存在が明らかになり、この乖離をどのように埋めていくかという課題も出てきています。今後は、どのような情報が必要で、どのような研究を行い、どのように社会実装していくかの議論が求められます。
古郡 精神科は個別性を重視する診療科ですから、RCTやメタ解析ではこうだからとかと言われても、臨床の感覚とはズレがあると感じておられる先生は結構いらっしゃるのでないかと思います。実際に経験を積んだ先生方は自らの経験則に基づいて治療方針を立てておられて、それは多くの場合的確です。そうした先生方には、もしかしたらガイドラインは必要ないかもしれません。
ただ、まだ経験の浅い若手の先生が迷ったときに、ひもとけばヒントがある、そういう「地図」のような役割を果たすのがガイドラインではないかと思っています。
稲田 ガイドラインには、最低限すべきこと、してはならないことを明示する役割もあると考えています。これまで個々の経験則で行ってきた治療を、ガイドラインを活用することによって、例えば多剤併用による副作用が是正できるなど、医療の底上げと均てん化にもつながるのではないかと期待しています。実際に、臨床の現場でも、治療の迷いや理由が分からない難治化が少なくなっていますし、やるべきことをやって、それでもうまくいかなかったときにどうしようかということを、論理的に考えられるようになってきていると感じています。
古郡 特に若い先生方は、カンファレンスで、「ガイドラインではこうなっているけれども、何でこの治療になっているのか」という理由をしっかり説明することが求められるようになり、相当に鍛えられているという話を聞きます。これはEGUIDEの講習会に施設単位で参加されて、ガイドラインに対する認識が施設内で共有されてきたゆえの効果ではないかと思います。
「ガイドラインはあくまで戦略の提示であり、戦術を提示しているのがエキスパートコンセンサスガイドラインである」(古郡先生)
エキスパートコンセンサスガイドラインの位置付け
稲田 ガイドラインの相互補完的なものとして、エキスパートコンセンサスガイドラインがあります。エビデンスがないためにガイドラインでは十分に提示されない臨床疑問(clinical question:CQ)に対して、日本臨床神経精神薬理学会の専門医(エキスパート)がどのような選択をしているのかを調査し、集約して提言をまとめたものです5。
古郡 ガイドラインはあくまで戦略の提示にとどまっていて、例えば「第2世代抗精神病薬を使いましょう」と書いてあっても、具体的にどの薬がよいかまでは触れていません。実はエビデンスという点では薬によって効果の差は認められないのですが、実臨床においては薬ごとに効果の違いを感じている医師も多く、その臨床実感を体系化して戦術を提示したのがエキスパートコンセンサスガイドラインです。「実際にどの薬剤を使用すればいいのか」で悩んだときに、先輩たちの意見が助けになる。ただ、1人の意見では偏りが出るので、100人の先輩の意見を集めてまとめれば、それなりに信頼性のある指針になると思います。
「精神薬理を専門としている先生の方が、薬物療法の限界について理解しているかもしれない」(稲田先生)
薬を理解し、研究マインドを持って患者さんに向き合う
稲田 最後に読者である若手医師に向けたメッセージをいただけますか。
古郡 まず、薬を使ううえでは、薬理に対する基本的な理解をしっかり持っていただきたいと思います。薬を深く学べば、薬物療法の限界も見えてきます。「この患者さんには薬が奏効しない」と判断できれば、薬以外の治療法を検討するという選択肢も生まれ、それが患者さんを救う道につながっていきます。
稲田 精神薬理を専門としている先生の方が、薬物療法の限界について理解しており、「薬で何とかしなくては」とは、あまり思っていないかもしれません。
古郡 精神科医の夏苅郁子先生が患者さんやご家族を対象に、約6,000人規模で行ったアンケート調査があります。「もし担当医を選べるとしたら、どのようなことを参考にして選びますか?」という問いに対し、「人柄・性格」「コミュニケーション能力」「学問的・医学的知識」などを抑えて、もっとも多かった回答が「適切な薬を処方する能力」でした6。これは、多くの患者さんが薬によるつらい経験をしてこられたこと、そして医師には正しい薬の使い方を学び、安心して治療を任せられる存在であってほしいという強い思いの表れだと思います。医師は、このメッセージをしっかり受け止め、患者さんにとって薬がどんな意味を持つのかを今一度見つめ直す必要があると感じています。
稲田 副作用で困っている患者さんは本当に多いので、薬についてしっかり勉強すること、そして目の前の患者さん一人一人を丁寧に診ることが大切です。治療がうまくいっているか、副作用で困っていないかをチェックし、うまくいっていないと感じたときには、その理由を考える姿勢―研究マインド―をもって治療にあたっていただきたいと思います。そして、そのような真摯な診療の中で見えてきた現象や考察をケースレポートあるいは論文という形でまとめて発表し、医学の発展につなげ、臨床に還元していただけるよう期待しています。

<プロフィール>
稲田 健 先生
北里大学医学部精神科学 主任教授
1997年北里大学医学部卒業。その後、北里大学医学部精神科に入局。米国ノースカロライナ大学留学、東京女子医科大学医学部精神科医学講座助教、同講師、同准教授を経て、2022年より現職。専門分野は精神薬理学、精神科学。日本臨床精神神経薬理学会評議員、日本神経精神薬理学会理事、日本精神神経学会代議員、日本うつ病学会評議員、他多数。
古郡 規雄 先生
獨協医科大学精神神経医学講座 主任教授
1993年弘前大学医学部卒業。その後、弘前大学医学部神経精神医学講座に入局。スウェーデンカロリンスカ研究所臨床薬理学教室留学、獨協医科大学精神神経医学講座准教授を経て、2023年より現職。専門分野は薬物治療、リエゾン精神医学、認知行動療法。日本臨床精神神経薬理学会理事長、日本神経精神薬理学会副理事長、日本うつ病学会評議員、日本統合失調症学会評議員、他多数。
取材/撮影:ルンドベック・ジャパン Progress in Mind Japan RC
取材日:2025年7月27日
取材場所:TG studio 日本橋人形町(東京都中央区)
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