精神科領域へのICT・AI技術の活用と実用化への展望
ICT(情報通信技術)およびAI(人工知能)などのデジタル技術は目覚ましく進歩してきました。精神科領域においてもICT・AI技術の活用が期待されているなか、その有用性を示唆するエビデンスが集まりつつあります。
精神科領域におけるICT・AI技術の活用と展望について、数々のデバイスの開発プロジェクトを積極的に行われている慶應義塾大学医学部精神・神経科学教室専任講師 岸本泰士郎 先生にお話を伺いました。
精神科診療の課題:診断・評価の客観的指標確立へのICT・AI技術活用
精神科診療の課題の一つとして、患者を評価するための客観的指標が乏しいために、鑑別診断や重症度評価の場面でしばしば困難に直面することが挙げられます。通常、精神科診療では患者に問診して診断を行ったり、評価尺度を用いて重症度の評価を行ったりしていますが、患者の症状の報告は客観性に乏しく、また医師の主観が含まれてしまい、医師の経験に大きく左右される可能性があります。医師によって診断が異なる、あるいは治療開始後の有効性評価が不分明になってしまう、などということは少なくありません。
このような精神科診療における課題を解決するために、客観的指標となるバイオマーカーの探索を行う研究が多く行われてきましたが、決定的な検査方法の確立には至っていません。無論、精神科臨床においても採血やCT、MRIなどの検査は行われていますが、これらは主に器質性精神障害の除外が目的であり精神疾患自体の診断や評価を目的としてはいません。そうしたなか、近年では社会的にデジタル化が進んだことも後押しとなり、ICT・AI技術を活用した新たな患者評価ツールの開発が行われています。
ICT・AI技術を活用した重症度評価や予後予測に使えるアルゴリズム作成の試み
ICT・AI技術を活用した患者評価では、医師や患者の主観を排除したデータ処理や解析によって、客観的指標による評価が可能になることが期待されています。近年のICTの発展は、ウェアラブルデバイスと呼ばれる身に着けることができる小さなセンサーを用いて、従来では定量できなかった患者の日常生活活動などの多種多様なビッグデータを収集することを可能としました。それらのデータを特徴量として抽出・定量化し、精神疾患特有の特徴を見いだそうとの試みが行われています。また、AI技術の発展により、機械学習を用いて症状と重症度の関連性などを解明し、患者の重症度を推定するような学習モデルを作成することが可能となりつつあります1。さらには、現在の重症度だけでなく予後予測を目的としたデータ解析も行われています。
機械学習によって精神疾患の診断や予後予測のアルゴリズムの作成を試みた研究はいくつか報告されています。2019年のSaadらの報告では、うつ病患者664名と健常者529名の睡眠時の心拍数について機械学習を行って診断アルゴリズムを作成したところ、アルゴリズムの正診率は79.9%でした2。また同じく2019年のChoらの報告では、気分障害患者55名の日常生活活動、睡眠状態、日光への曝露、心拍数のデータを収集し機械学習を行って予後予測アルゴリズムを作成したところ、3日後までの気分状態の予測の正診率は65%でした3。
ウェアラブルデバイスの収集データを用いるうつ病評価アルゴリズムの開発
現在私が行っている研究プロジェクト「機械学習を用いた表情・体動・音声・日常生活活動の解析(PROMPT)」では、診療中の患者の様子をカメラで捉えて表情の変化などを定量化し、また、声量や語彙数、会話速度などの特徴を分析しています。さらにウェアラブルデバイスを使用して、患者の日常生活活動や睡眠状態のデータを収集し定量化することを試みています。様々な精神疾患を対象としており、これらの収集したデータを組み合わせることで、重症度の評価や予後予測が可能なアルゴリズムを作成し、診療支援システムを開発することを目指しています。
PROMPTの一環で行われた試験を紹介します4。DSM-5で診断された大うつ病患者30名と双極性障害患者15名、健常者41名のデータを使って疾患の特徴を調査し、うつ症状の有無および重症度の予後予測が可能なアルゴリズムの作成・検証を試みました。まず、解析項目は歩数、エネルギー消費、体動、睡眠時間、心拍数、皮膚温度、紫外線曝露とし、リストバンド型のウェアラブルデバイスにより被験者全例でのべ5,250日分のデータを収集しました。さらに、被験者全例に反復してHAMD-17(ハミルトンうつ病評価尺度)にてうつ病の重症度評価を行い、ウェアラブルデバイスで収集された解析データから特徴を抽出し、HAMD-17スコアを正解データとして機械学習させることで、うつ病重症度評価のアルゴリズムを作成しました。うつ状態の有無の判断についてアルゴリズムの正確さを検証したところ、正診率は76%、感度は73%、特異度は79%でした。一方、重症度の予後予測についてアルゴリズムの正確さを検証したところ、医師がHAMD-17を用いて行った評価との相関係数は0.61(p<0.01*)でした。今後さらなる検証が必要ではあるものの、ウェアラブルデバイスで収集したデータによって重症度評価や予後予測のアルゴリズム作成が一定の精度で可能であることが示唆されました。現在も複数のプロジェクトを進めており、診断の支援や重症度の評価など、様々なシーンを想定したデジタルデバイスの開発を行っています。
ICT・AI技術の実用化における倫理的・法的・社会的課題の解決に向けて
ICT・AI技術の医療への実用化に期待がある一方で、患者データの取り扱いについてELSI(Ethical, Legal and Social Issues:倫理的・法的・社会的課題)に関する検討も不可欠です。まず、デバイスによって収集された患者の日常生活活動などのデータは誰のものなのか、という点です。これらのデータをICT・AI技術によって正しく取り扱うためには、患者自身がデータを管理し、医療側はその提供を受けたうえで利用する、という流れが基本原則として必要だと考えています。また、機械学習には大量のデータが必要になるため、多種多様なデータを同一の形式に標準化して集めるためのプラットフォームの整備が必要です5,6。一方、医療データは非常にプライバシー性が高く、カルテの記載内容や検査結果などはほとんどが要配慮個人情報に該当するため、取り扱いには十分注意が必要です7。これらの課題に関しても私たちのグループでは研究を立ち上げており、人文・社会科学の研究者らとともに法政策上の課題をはじめ、産学官共同研究のあり方などをテーマに議論しています。
今後、ICT・AI技術を活用した機器が医療機関に普及することで、精神科診療を力強く支えるものになっていくことを期待しています。客観的指標という物差しを提供し、診断や治療評価における選択肢を増やすことで、精神科診療の質がさらに良くなると考えています。
取材/撮影:ルンドベック・ジャパン Progress in Mind Japan RC
取材日:2020年8月17日
場所:ルンドベック・ジャパン㈱ 本社
データの詳細
*原著では「p=2.20e-16」と記載されているが便宜的に「p<0.01」と記載した
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