座談会「うつ病診療、この10年を振り返り、未来を描く」

ルンドベック社が本社を置くデンマークは精神科医療の向上に力を入れており、日本をはじめ世界における動向を注視しています。2022年6月に開催されたデンマーク王国大使館との共催の座談会では、うつ病診療と研究に尽力してこられた3人の先生方が出席され、前半では、ご自身のこれまでの10年間を振り返っていただき、これからの診療と研究の方向性について議論していただきました。

また、本座談会は本来、2021年に開催される予定であり、同年8月にご逝去された渡部芳德先生〔市ヶ谷ひもろぎクリニック院長(当時)〕も参加される予定でした。座談会の後半では、渡部先生の診療と研究の理念、その足跡と未来に託した夢、行動的なお人柄についても語っていただきました。

渡邊 衡一郎 先生
(司会・杏林大学 精神神経科学教室 教授)

菊地 俊暁 先生
(慶應義塾大学 精神・神経科学教室 専任講師)

本郷 誠司 先生
(医療法人社団慈泉会 理事/東京医科大学客員講師 市ヶ谷ひもろぎクリニック)

西村 章 氏
(東和薬品株式会社)

※発表順/敬称略

 

うつ病診療における10年の軌跡を語る

 

「SDMの考えに立ち、寛解(remission)から回復(recovery)をゴールとする治療を」
(渡邊 衡一郎 先生)

 

 

渡邊 本日の座談会にご参加いただき、ありがとうございます。うつ病診療の将来像を描くためには、反対にこれまでを検証する必要があり、そのためにもまずはそれぞれの先生方のこの10年間をご研究や活動と共にふり返っていただきましょう。

司会である私から始めます。10年前の私は薬物治療が奏効しない難治性うつに注目していました。薬物療法の限界を感じたときに考えるべきこととして、「診断は適切か(双極性障害を見逃していないか)」、「正しい薬物療法を行っているか(薬物療法は本当に必要か、至適な薬物療法がなされているかなど)」、「回復を妨げる因子はないか(ストレス状況の有無、薬物相互作用、アドヒアランス、経済的状況など)」、「他の治療ツールは有効か」などを挙げました。

また、当事者とともに治療法を考えることの大切さにも思い至り、統合失調症領域で紹介されていた共同意思決定(Shared Decision Making: SDM)をうつ病診療にも採り入れようと呼びかけていました。

日本うつ病学会による『大うつ病性障害・双極性障害 治療ガイドライン』1にも携わり、軽症例に行うべき基礎的介入および必要に応じて選択される推奨治療を担当しました。ガイドラインは2016年に改訂され、2022年から新たなる改訂に取り組んでいます。また、この10年間には『統合失調症薬物治療ガイドライン』2、『社交不安症の診療ガイドライン』3などのガイドラインが発行されています。また、これらのガイドラインについて精神科医に講習するEGUIDEプロジェクトも全国的に展開されるようになりました。

新規薬物や反復経頭蓋磁気刺激(rTMS)療法などが導入されてきたこの10年間、認知機能と社会機能の回復を最重視されるようになりました。他にも統合失調症領域で説いてきた「症状の回復(recovery)でよしとするのではなく、自立した生活や就労も含み、患者さんが納得するrecoveryこそが治療ゴール」という考えを2015年からうつ病診療にも採り入れています。個々の患者さんの社会機能の回復を重視し、患者さんの夢と希望を傾聴して“personal recovery”までも目指す治療です。その上で共同意思決定(SDM)の重要性についてもコメントしていました。

菊地 まさにこの10年間の精神神経科領域を網羅されたお話だったように感じます。当事者(患者さん)の視点が進歩し、うつ症状だけではなく、全人的に診ることが重視されるようになってきました。ただし、10年前に我々が思い描いていたことがすべて達成されたわけではなく、SDMについてもまだまだこれからです。何かを変えていくには10年程度はかかることを改めて感じた次第です。

特に精神医療で用いられる概念や言葉は当事者(患者さん)にはわかりにくい部分が多く、今後は診療の見える化、評価の可視化が求められてくると思います。一例ですが、リワークによる復職率などを数値で示す必要性も出てくるのではないでしょうか。

本郷 精神科医になってから30年以上が経つ私もこの10年間は、それ以前とは比較できないほどの「激動の10年」と捉えています。90年代半ばに新規の抗精神病薬が出始めてからは、統合失調症のみならず、さまざまな領域で革新的な進歩がありました。また、この10年間に各種のガイドラインが整備されたことも大きく、実際の臨床でいかに工夫してガイドラインが推奨する治療を実現していくかに苦心していたことを思い出しました。

 

「これからの治療が目指すべきは、個々の患者の健康や幸福感(from illness to wellness)」
(菊地 俊暁 先生)

 

 

菊地 私は10年前には米国コロンビア大学精神科研究員として、主にMRI画像を使って認知行動療法(CBT)のメカニズム解明に取り組んでいました。「CBTは情動コントロールに関与する領域を賦活化するトップダウン的治療である」との説はまだ十分に解明されていませんが、日本でも注目され始めたのは最近のことであり、この領域の研究における日米の差異を感じています。また、日本では臨床における医師の負担が大きいことで研究の時間が削られてしまうことが多いのですが、米国の施設ではシステマティックな役割分担が確立されており、我々も研究に時間を割くことができました。

渡邊先生が言われたことにも関係しますが、この10年間で治療のゴールが客観(objective)から主観(subjective)に移ってきたことは大きな変化です。この点で日本うつ病学会が『当事者・家族のための わかりやすいうつ病治療ガイド』4を出したことには大きな意義があります。SDMとpersonal recoveryの概念が普及してきたことでも、臨床を超えて個々の患者さんに焦点が当たるようになってきました(from clinical to personal)。

今後はいかに個人の特性に焦点を当てていくかを重視するprecision medicineを目指し、現在、国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)の支援を得て、医療情報の統合によるうつ病治療の最適化システムの開発に当たっています。

また、これからの治療の目指すべき地点は、従来の疾患の治療という概念からやや離れて、個々の患者さんの健康や幸福感に移っていくのではと思っています(from illness to wellness 図5)。疾患を治療するとともに、個々の患者さんが思う幸せをどう満たしていけるのかについては、治療で達成できること/治療以外の方法でできることの組み合わせが求められます。

以上をまとめると、これからのうつ病治療は、客観から主観に、臨床全体から個々の患者さんに、そして、疾病だけでなく、個々の患者さんの幸せのあり方を探る方向になっていくと考えています。

 

図 「疾患から幸福感へ」(from illness to wellness)の概念モデル(参考文献5の原図を基に菊地先生作図)

本郷 菊地先生が重視されているのは「病気の治療から患者の治療へ」であり、薬剤選択についても個々の患者さんを思って30種類近い抗うつ薬を使いこなすことが求められます。私は患者さんがもともと持っている治癒の力にも着目して全人的にみることを心掛けており、薬剤選択にも配慮しています。たとえばスポーツを楽しみとしている患者さんに強力な鎮静をかけてしまうことは、楽しみを奪ってしまうことになります。読書が趣味の患者さんであれば認知機能の維持を考えます。

オーダーメード医療が求められている中、個々の患者さんを細かくみていけるツールがあればと思います。先ほど菊地先生が言われた診療の見える化、評価の可視化ができれば、患者さんも自身の治療ゴールについて納得でき、治療へのモチベーションも高まるでしょう。

渡邊 私もこれからのキーワードは「可視化」だと考えています。診察室での問診のみでは、患者さんご自身は気落ちしていたり、緊張しているなどにより、入手できる情報はわずかだと思います。これまで使われてきた評価尺度には課題はありますが、数値を示すことで患者さんと状況について共有できるのも事実です。SDMで使う意思決定支援ツール (decision aid)は、うつ病の患者さんの転帰や治療選択肢を可視化しており、患者さんもイメージしやすくなっています。患者さんの多くは可視化されたデータやメモを持ち帰って周囲に相談しており、そうすることで治療モチベーションも向上する可能性があります。

 

「渡部芳德先生は最後まで精神神経科領域の新たな研究領域に思いを馳せておられた」
(本郷 誠司 先生)

 

 

本郷 昨年に予定されていた本座談会を渡部芳德先生は楽しみにしていました。本座談会のために「うつ病診療、この10年を振り返り、未来を描く」と題した50枚以上のスライドプレゼンテーションを用意されており、本日は私が代読させていただきます。

日本におけるこの10年間は、東日本大震災と福島の原発事故、そしてCOVID-19に大きく影響されました。渡部先生は「COVID-19パンデミックにおける医療従事者の少なくとも5人に1人がうつ病と不安症状を報告」、「10人に4人が不眠症(睡眠障害)を経験」6などの報告に目を通され、パンデミックの影響を危惧していました。先生は、日本人と米国人のセロトニントランスポーター遺伝子タイプの研究7,8を比較して、米国人にはLL型(セロトニン分泌量が多い)が多く、日本人はSS型(セロトニン分泌量が少ない)ことにも着目し、「特に日本人の多くは不安に陥りやすいのではないか」と推測していました。

また、渡部先生は独自のうつ症状と不安症状の評価スケールである「ひもろぎ式心理検査(HSDS)」9および「ひもろぎ式不安検査(HSAS)」10を開発され、診察に使用していました。現在も私どもは診療で使用しており、うつと不安の程度が数値で表され、回復に向かっていることが「見える化」されることで、患者さんからも好評です。

また、リワークにも力を入れておられ、うつ病についての理解を深める心理教育、仕事に必要な力を取り戻すオフィスワーク、自己表現の方法を身につけるコミュニケーション教育、軽い運動や行事に参加して対応力を養う共同作業を実践してきました。

COVID-19感染禍における遠隔診療についても考察されていました。「現在の技術では対面で得られる情報すべてを捉えていない。さらなる技術の向上を」、「現状の発展途上の遠隔診療・遠隔カウンセリングには治療側に対面診療以上の技術が必要」、「遠隔診療利用側(患者側)にも医師・カウンセラーに伝える能力が必要」などの課題を挙げて、「画像に加えて、心拍数・音声分析・表情分析・自律神経機能など、五感を補うデータの提供」、「従来の臨床評価・定量化に加えて新たな指標」の必要性を説いていました。

これに関連してデジタル表現型(digital phenotyping)にも非常に興味を持たれており、このプレゼンテーションの最後では、スマートフォンから収集できる、行動パターン、社会的相互作用、身体的可動性、総運動活動、音声生成などのデータを使ってのデジタル表現型の研究の可能性に言及しています。

渡邊 渡部芳德先生のスライドを見て、日々の生活や行動を評価するEcological Momentary Assessment (EMA) を想起しました。たしかに人間は瞬間ごとに違うのであり、スマートフォンから収集できる日々の細かいデータを解析することで、より正しい評価につながるかもしれません。1日単位ではなく、時間をさらに細分化して評価することでより詳細に評価できる可能性があり、本日の座談会で大きなテーマになった「可視化」にもつながっていると思います。

遠隔診療については、COVID-19をきっかけに米国では急速に対面診療から切り替わっています。私も遠隔診療には対面診療では得られない情報、伝えられない情報もあるとは思ってはいますが、それはあくまで知識としての情報であり、情緒的な情報は画面からは十分に伝わりません。情緒的な情報を伝える技術が向上すれば遠隔診療もやりやすくなるでしょう。

菊地 CBTにも対面型と通信型があり、通信型にも完全な独学タイプ(self-help)のもの、医師と患者が共同で参画するタイプがあります。独学タイプはいつでもどこでもアクセスできることがメリットですが、脱落も多いのが実情です。対面型も施設に出向かねばならないことで脱落は多く、対面型と通信型の中間点を模索していく必要がありますね。

渡邊 これまでの議論から、我々3人と、この座談会を見守っておられる渡部芳德先生を含めて4人とも同じ考えを抱いていたことがわかりました。かつてはうつ病や気分障害の治療について楽観的な見方もあったのですが、この10年間でその難しさがわかってきたなかで、今後は治療と評価の可視化の取り組みが必要であることが確認されたと思います。

 

 

渡邊 ここからは、本来であれば2021年に開催されるはずであった本座談会の参加者であり、2021年8月にご逝去された渡部芳德先生を偲んでのセッションを始めましょう。本日は渡部先生をよく知る西村さんをお呼びしています。

西村 私は製薬企業で開発に携わっており、渡部芳德先生には多くについて勉強させていただきました。先生は2,000人規模の患者データをデータベースに保存されておられました。お忙しい中で詳細な患者さんのデータの記録を基に、将来的には個々の患者さんに至適な治療システムの構築を考えておられました。

抗うつ薬の国内開発臨床試験では、医師の評価結果だけでなく、患者による自己評価も加え、第三者が症例を評価する仕組みである中央モニタリングシステムの開発にも携わっていただき、そのシステムはその後も精神神経領域の臨床試験で使われています。

渡邊 渡部芳德先生はかねてから患者さんの自己評価を重視されていました。私も当事者の声は大切と考えており、先生は患者さんの自己評価のほうが不確実なデータよりもはるかによいとの確信を持っておられました。ご講演やご執筆などでお忙しい中でも患者さんを診ることにこだわり続けたと言えます。

菊地 それまでは「患者の自己評価はばらつき、科学性が担保されないので加味しない」が基本的な考えでした。しかしながら、医師の評価の信頼性については、渡部先生ご自身も臨床試験に携わっていたことでわかっていたと思います。

本郷 渡部先生は「中央モニタリングシステムの目的は臨床試験に組み込まれた患者が適切であったのか、そうではなかったのかを見ることにある」と言っておられました。患者の状態を確実に把握する中央モニタリングシステムの構築は、渡部先生と西村さんの力で実現できたわけです。

また、先生には常に何かしらの「マイブーム」があり、ひとつの方向に駆けだすと思ったら、途端に90度違う方向に向かってみたりしていました。周りにいる我々がヒヤヒヤするようなこともありました。「これからはデジタル技術を活用しなければ」と、デジタル表現型に非常に興味を抱かれたまま、旅立たれました。

渡邊 わが国のうつ病診療のこれまでを検証し、将来的な方向性について思い描くことができました。また、渡部芳德先生の先駆的なご業績と崇高な診療理念を改めて偲ぶことができました。渡部先生もきっとこの座談会を見守っておられたと思います。本日はありがとうございました。

左から本郷 誠司 先生、渡邊 衡一郎 先生、西村 章 氏、菊地 俊暁 先生

 

座談会取材、撮影:ルンドベック・ジャパン Progress in Mind Japan RC
取材日:2022年6月25日
場所:駐日デンマーク王国大使館(東京都渋谷区)

 

参考文献
  1. 日本うつ病学会. 大うつ病性障害・双極性障害 治療ガイドライン.医学書院. 2013.
  2. 日本神経精神薬理学会. 統合失調症薬物治療ガイドライン.医学書院. 2017.
  3. 日本不安症学会/日本神経精神薬理学会. 社交不安症の診療ガイドライン.2021.( http://www.jsnp-org.jp/news/img/20210510.pdf )
  4. 日本うつ病学会. 当事者・家族のための わかりやすいうつ病治療ガイド. 地域精神保健福祉機構.2021.
  5. Tudor K. Paradigms and Practice. Routledge: London: 1996.
  6. Pappa S, et al. Brain Behavior and Immunity 2020; 88: 901-7.
  7. Nakamura T, et al. Am J Med Genet 1997; 748(5): 544-5.
  8. Lesch KP, et al. Science 1996; 274 (5292):1527-31.
  9. Mimura C, et al. International Journal of Psychiatry in Clinical Practice 2011; 15(1): 50-55.
  10. Mimura C, et al. International Journal of Psychiatry in Medicine 2011; 41(1): 29-45.
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